注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2014年12月28日日曜日

映画『ブルージャスミン』75点


映画館で観たかったウディ・アレン作品をDVDにて観賞。

非常に皮肉に満ちたファッ●ンセレブなコント映画だった。


簡単に言うと、ケイト・ブランシェット演じるジャスミン(偽名)が
クソ詐欺師で大金持ちになった夫の金で贅沢三昧していたモノの、
結果旦那のクソ詐欺がバレて、一文無しに。


そんなセレブの虚勢と嘘にまみれた転落人生を描いたのがこの映画。


このジャスミン役でケイト・ブランシェットは
『ゼロ・グラビティ』のサンドラブロックらを押さえて
アカデミー賞主演女優賞を始め、
各映画賞の主演女優賞を総なめ。


でも映画を観れば、納得できる素晴らしすぎる「痛い女」を演じきっている。
一文無しなのにブランドに身を包み
ファーストクラスに乗る狂いっぱなしのジャスミン

















とにかく彼女に共感できるポイントは一つも無い。
破産しているのに虚勢を張ってブランド品に身を包み、
庶民的な妹を愚弄し、ブルーワーカー的な妹の彼氏も馬鹿にし、
金持ちが集まるパーティーで、無職のくせにインテリアデザイナーと嘘をつく。

とにかく中身が何もないクソみたいなセレブ崩れを演じるんだけど、
特に凄いのが、地の底まで落ちているのに「セレブ感」が抜けないこと。

これはケイトブランシェット天性の「王女感」から来るのだろうか。

実際彼女は2004年アビエイターでアメリカの大女優
キャサリン・ヘプバーンを演じ、アカデミー助演女優賞を受賞したり、
『エリザベス:ゴールデン・エイジ』で、まさに王女中の王女
「エリザベス1世」を演じているわけで、















そんなことからウディアレンは彼女をこの映画に抜擢したんだろうか。

そのキャスティングが既に皮肉の始まりって感じだが、
ケイトブランシェットのジェットコースター的な演技だけで
90分見れる、つまり主演女優賞にふさわしいブラックコメディ映画でした。







2014年12月18日木曜日

映画『ゴーン・ガール』90点


2014年12月14日観賞。


個人的に最も好きな監督デヴィッド・フィンチャーの最新作。
これがもう、ひいき目無しに最高だった。本年度最高傑作!


お話としてはタイトル通り、妻がゴーンしてしまう話なんだけど、
何が最高かって、フィンチャーが本気を出したら、
こんな『世界トップレベルの不条理夫婦コント』 が成立してしまうんだ!
って所。

サスペンスだとか、ダイナマイト級のスリラーだとか、
色んな触れ込みはあるけど、これは立派なブラックコメディ!
怖すぎて、こんな人間どもが生きる世界はもはやコント。

ベン・アフレックの魂抜けた顔。これがコントの肝。


















しかもそれでいて、
ストーリーは観賞者の読みを裏切り続ける二転三転の
繰り返しでエンターテイメントとしても非常にレベルが高い。


主演のロザムンド・パイクは、こりゃもう間違いなくアカデミー賞とるな!
っていうほど、劇場騒然、夢に出てくるほど強烈なエイミー役を
怪演という言葉以外浮かばない見事な演じっぷり。
こんな良い女優だとはつゆ知らず。
その辺を見いだすところも流石フィンチャー。

「女は怖い」とかいうレベルの「怖さ」じゃ無い
コントとしか思えないレベルの「怖さ」なのだ
















フィンチャーと言えば『セブン』や『ファイトクラブ』といった、
好きな人は好きみたいな、かなりクセのある映画を作る人間って
イメージが世間的には強いけれども、
この映画はある意味一見フィンチャーらしからぬ、わかりやすい映画。


だけども一筋縄じゃ行かないのがさすがフィンチャーで、

「一組の夫婦」を通して、マスコミ、警察、庶民、そして結婚という、
人間誰しもが関わり、当事者となる事象、または人間そのものの
醜さを神目線で映画化し、遊んでいるようにさえ見えるこの作品。















それでいて目に見えた不快感は与えず、
劇場の観客からも割と大きな笑いが起こるほどの
本当のコントに仕立て上げた腕は一流としか言いようが無い。


何よりも、こんな話を「笑える」映画に仕立て上げた技術が最も凄い。
相当高度なテクニックだと思う。
まっちゃんにもこんなブラックコメディ撮って欲しいなぁ。


皆さんも年末年始、
劇場で一体となって笑って、驚いて、引いて、笑って、引いてみては?

2014年11月22日土曜日

映画『インターステラー』86点


巨匠クリストファー・ノーラン作品。

「これぞノーラン!もうお腹いっぱいです!」という、
まさに彼のドヤ顔が目に浮かんで離れないほど彼の世界観、思想、
そしてSF映画はゼログラビティが最高だと思うなよお前ら、
最新の宇宙理論を使えば映画でこんな使い方が出来るんだぞ!
というテクニックとアイディアがこれでもか!
と凝縮された169分だった。
ダークナイトが最高傑作だなんて言わせないぜ!
ってほどのドヤ顔が浮かぶ作品でした























言いたいことはたくさんありそうで無い映画なんだけど、
とりあえず感想を端的にまとめてみると

●相変わらずマシュー・マコノヒーは抜群

●『ゼロ・グラビティ』後のSF映画として圧倒的な独自性を放っている

●学者と一緒に隙の無い最新宇宙理論盛り込んでますよ感の凄さ

●と思ったら、エンディングに向けて急にメルヘンチックに

●地球と宇宙と過去未来とグチャグチャになりそうな構成をまとめる脚本力

●映像も凄いけど何よりも音楽が素晴らしい

●インセプション感

●結局「愛は時空を超える」

●正直ちょっと長い


こんな所でしょうか。
以上の点を、いくつか詳細に紐解いてみると・・・


俳優陣の分厚さは相当なモノで、予想外のタイミングで出てきた
マッドデイモンのウザさって言ったらこの上なかったけど、
何よりもMVPはマシュー・マコノヒー。
アン・ハサウェイはラストシーンの悲しげな顔がベストだった

















一瞬冷静になると「何やってんのコイツら?」的な映画になりかねない
ギリギリのラインをせめぎ合うこの映画は、彼の演技力無しには語れない。


また、『ゼロ・グラビティ』という映画界における
現代技術を結集したSF映画の登場によって、
「ゼロ・グラビティ前」・「ゼロ・グラビティ後」
という基軸すら出来上がっている昨今、
同じSFモノでも全くもって似て非なる世界観、テーマ設定、物語を
169分作り上げた手腕はさすがと言わざるを得ない。


その独自性を支えるのは、インセプションなどにも色濃く反映される
「時空」「次元」などの物理学的、哲学的要素だ。
地味に良い味出してたジェシカ・チャスティン
『ゼロ・ダークサーティー』のあの人。


















実際、この映画には、理論物理学者のキップ・ソーンが
科学コンサルタント兼製作総指揮として参加しており、
嘘つかれたってどうせ我々には全く分かりませんし、
疑うつもりはありません的な、
アインシュタイン顔負けの宇宙専門用語が飛び交う。


まぁ正直何が何だか雰囲気でしか分からないまま物語は進むのだけど、
それなりに説得力はあるし、「こっちの時空に行くと1時間が7年」とか、
別の銀河系へ!太陽系サヨナラ!とか、
今までのSFモノには無い要素で映画全体が構築されているので、
「あ~これはお決まりのこのパターンね」的な先読み着地点も無い。

そして中盤を過ぎた当たりから加速度的に物語は盛り上がりを見せ、
観賞者がトイレに行く隙を与えない。
恐ろしいほどリアルだった宇宙のどこかにある「水」のある惑星
実際はアイルランドらしい















その隙の無い引き込まれる演出の核は映像では無く、音楽にある。
それを手がけたのは『バットマン』三部作も担当したハンス・ジマー。

特筆すべきは「無音」の散りばめ方だ。
『ゼログラビティ』でも「無音」の演出方法はあったが、
この映画の無音の使い方は、
圧倒的な緊張感と独特の世界観を形成していて、観賞者の心を奪う。


そんな隙の無い大作は、大作と呼ぶにふさわしく、様々な顔を見せる。

ガチガチに理論武装しているかと思いきや、
終盤にかけて急速にメルヘンチックなお話にオチが向かっていくのだ。

ネタバレになるので詳細は避けるが、
一言で言えば「愛は時空を超える」。それに尽きる。
親子愛は人類愛を超える。そして時空も超える。
















ここら辺が賛否両論別れるところだと思うが、
ロジックで攻めに攻めに攻めてきたくせに急に情緒で攻めてきたなノーラン!
っていうツンデレ的な効果で評価するか、急に説得力無くなったよ!と
突き放してしまうか、難しいところ。


個人的な意見では後者に近いのだけれど、
これはあくまでもフィクションという名の「映画」だし、
「映画」は、エンターテイメントという要素が
評価基準として欠かせないモノだと思っているので、
そういう意味でメルヘンチックなエンディングも
作品トータルで見たときに金太郎アメ的な総合力を上げる要素として加点した。


監督、役者、脚本、映像、編集、
全てにおいてオリジナリティ、エンタメ性など
高いレベルで散りばめられていると言うことで、
現状2014年度ベストの得点を獲得した作品となった。
※ちなみに現状2位は『ディス・コネクト』(85点)

ただ、この映画はわりとクセが強いというか、
そもそも長いし、よくわかんないし、って要素が無くも無いので、
単純に映画を軽い気持ちで楽しみたいというカップル系にはお薦めしません。







2014年11月17日月曜日

映画『SOMEWHERE』77点



2010年のヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞作。
DVD観賞。

ソフィア・コッポラ監督自身の幼少時代の思い出から
着想を得た映画らしいが、秀作。
今回も終始洒落た演出を見せたコッポラ
















近作の『ブリングリング』(75点)より質が高い。

その所以は、
彼女の作品の真骨頂でもある「メタファー」が、
より高度に、かつ存分に発揮されている点。


特に印象深いシーンは、冒頭数分間、定点カメラで
主人公である売れっ子俳優が自家用車の高級スポーツカーで
ただひたすらに同じコースを回り続ける様子をおさめたシーン。

これがタダひたすらに長い。ホントに長い。

最初何のこっちゃと思うが、実はこのシーンこそ、この映画の神髄。















これは彼のルーティン化された退屈で空虚な日常を
メタファーを用いて表現したものだと思われるが、

その行き着く先は、エンディングにおける
メタファー的な彼のドライビングシーンで完成される。

ネタバレって程では無いが、コッポラのドヤ顔が目に浮かぶほど
オープニングとは美しく対照的なエンディングにご注目。



そしてこの映画の魅力をさらに高めているのが、
ダコタファニングの妹、エルファニング。可愛い。
そして抑圧された演技も素晴らしい。















そして何よりも、全く作風の違うタランティーノが
審査員長として絶賛して、金獅子賞を与えたらしくて逆に彼を見直した。

映画『ありえないほど近くて、ものすごくうるさい』78点





DVD観賞。良作。

オスカー役の子供が素人とは思えない愛すべき怪演。
サンドラブロック、トムハンクスというハリウッドを代表する
二大俳優の存在感すらも凌ぐ、彼だけでも見る価値のある映画だ。

そして彼の良さをさらに増長させる音楽が最高に良い。

個人的にはラストシーンが印象的。
オスカーが会った人達に手紙を書いて朗読するシーン。泣ける。

「何もないより失望した方がずっと良い」
こんなこと言える子供はもやは子供では無いけど、しびれる台詞でした。
観て損はしない、正に良作。

2014年9月24日水曜日

映画『ドミノ』60点だけど80点





2005年、トニー・スコット監督の作品。
実在した元モデルの女バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)、
ドミノ・ハーヴェイの自伝的映画。


これは、私的映画ベスト10に食い込む作品。
だが、万人には薦めない、そんな映画。
なぜ死んでしまったんだトニー・スコット。























始めから終わりまでカット割り細かすぎ、画面加工しすぎ、オシャレすぎで
画面に酔いそうになるっていうか、絶対に酔うけど、そんなの関係ない。

ここまで徹底してやりきってくれるのであれば逆に潔い。

そんな激しさは画面だけにとどまらず、
場面転換も激しすぎて脚本が圧倒的に雑に見えるし、
ストーリーもほとんど頭に入ってこないけど、やっぱりそんなの関係ない。


何よりもキーラ・ナイトレイが最高にクール。
一気に大好きな女優の一人になった。











トータルして客観的に見ればというか、
世間的な評価はすこぶる低いこの映画だが、
映像に携わる人間として人生に刻まれる映画になりました。

つまり編集のスタイリッシュさとキーラのクールさで+20点くらいの映画。

この映画のDVD片手に、
編集に臨むことを欲したくなった僕は迷わずAmazonで1クリック。

改めてトニースコット師匠に合掌。

2014年8月20日水曜日

映画『GODZILLA ゴジラ』55点


2014年8月20日観賞。


98年にローランド・エメリッヒによってリメイクされた
ただのトカゲ怪獣化した「ゴジラ」よりは、はるかに「ゴジラ」だったが、
個人的には全く持って評価しがたい映画だった。
これは誰が見てもゴジラでは無い
















小学生の頃から欠かさずに親と映画館に観に行くほど好きだったゴジラ。

実際に詳細なストーリーは覚えていないし、
なぜ好きか?と聞かれると、感覚的な「好き」という感情しか残っていない。

だけど、そんなおぼろげな記憶の中でも確実に脳裏に刻まれていたのが
「何かもの悲しい」、「人間のエゴが生んだ悲劇の怪獣」という印象だ。


それはやはり、ウルトラマンなどの特撮ヒーローが持つ「正義の味方」という
世界観とは一線を画す、「水爆大怪獣」という人類へのアンチテーゼとして
現れたゴジラという設定が強く印象付いていたと言うことだろう。


知らない人のために書いておくと、ゴジラの起源は以下の通りだ。

「南方の孤島・ラゴス島に生息し続けていた恐竜ゴジラザウルスが
ビキニ環礁の水爆実験で発生した放射性物質を浴び怪獣化した」



前置きが長くなったが、今回のハリウッド版ゴジラが圧倒的にダメなのが
この「世界観」を形成できていないという点だ。


たしかにゴジラファンだという監督ギャレス・エドワーズは、
原作のゴジラと遜色ない、現在のCG技術を駆使してむしろ
より洗練され迫力のあるゴジラを作り出してはいる。

スクリーンに現れたときは普通に興奮した













だが、小学生の自分ですら感じることが出来た
哀愁すら感じるゴジラの世界観はこの映画には存在しない。
単なるハリウッドお決まりパニックムービー化しているのだ。


陳腐な恋愛劇は全く持ってストーリーを補強するに至っていないし、
渡辺謙の立ち位置は終始意味不明だし、
相変わらずハリウッド映画の日本の描き方は辟易とするし、
あんな寺子屋みたいな家に我々は住んでいませんし、
一番大切なゴジラの戦闘シーンまでの振りが長すぎる割に意味を成してないし、
と、物語全体に評価の要素は見当たらない。


ただダメ出しばかりするのも気が滅入るので言っておくと、
やっぱりゴジラが放射熱線を吐き出す前に背中が光り始める時の
ワクワクドキドキ感は小学生の自分を思い出すことが出来た。
良い画像が無かった…残念











だけど、そんな醍醐味である戦闘シーンもやはり何か消化不良気味で、
同じく日本特撮ものをベースにした『パシフィック・リム(75点)』の方が
圧倒的に全てのバランスが整っている映画だった。


というわけで、全世界的に記録的なヒットをしている中で、
日本ではさほど興行収入が伸びていないのは、
「日本発」の社会風刺的世界観を踏襲し切れていないハリウッド大作への
「日本人なりの」抵抗の現れなのだろうか。