注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2018年1月30日火曜日

映画『ダンケルク』82点



クリストファー・ノーランらしい時間軸を使って構成された戦争映画。

が、それと同時にノーランらしくない106分という
鑑賞者側とすればありがたい適尺にまとめあげてきた戦争映画。
※前作の『インターステラー』(86点)は169分
『ダークナイト・ライジング』は165分
『インセプション』は148分



IMAXを思う存分使った美しい映像は見ものだし、
スマホは持たないと噂の奇才・ノーラン















ほぼ台詞がない中で緊張感を持続させる音の演出など、
全てが高レベルに凝縮された優れた作品であることは間違いない。
アカデミー賞を始め多くの賞にノミネートされたわけだが
この映画、評価がめちゃくちゃ難しい。


ハイレベルの中にたくさんの違和感がある。

まずノーランの「CGを使わない」という強いこだわりで、
数千数万という兵隊は、ダンボールのハリボテで表現するという
もはやコントじゃねーか!的映像。
もちろん言われなければ鑑賞中は絶対気がつきません。















戦闘機も実際に博物館か何かから引っ張り出してきて
飛ばしたっていうから奇才感半端ない。











が、しかし。
この映画に対して最も違和感を感じるのはそこじゃない。

ノーラン本人がインタビューで、
「戦争映画ではなくサスペンス映画だ」と銘打ってる割には、
救出のドキドキ感をエンタメ的に煽る作りにはなっていないし、
戦争映画おきまりとも言える戦場に放たれる兵士たちの人生模様、
家族背景的な物語はほぼ排除されているのだ。
一番左はワン・ダイレクションのハリー・スタイルズだが
どんなキャラか忘れた。














だから誰にも感情移入できない。

だけども圧倒的高レベルの映像美と音楽と音響効果によって
終始「いつ死ぬかわからない」という緊張感を
兵士たちと共に体感させられ続けるという謎の視聴体験。

これはノーランクラスの巨匠なのだから
絶対に”あえて”こういう作りにしているんだと思う。

その意図は何なのか?

「戦争」を「物語」として描くのではなく、
ただ「戦場そのもの」を描きたかったのだろうか。

戦場において兵士たちの家族背景や物語など全く意味がない。
そこは生きるか死ぬかの場所でしかないのだ。

そいつがどんなに良いやつでも悪いやつでも生きるか死ぬか。
そいつがどんなに大切で失いたくないものを背負っていようと関係ない。
突然死が訪れる。物語?そんなの関係ねえ!
そんなものおかまいなしに死が不条理に訪れる!それが戦場だ!

ってことなんですかねノーラン先生。

2018年1月25日木曜日

『わたしは、ダニエル・ブレイク』89点


Amazonプライムにて遅ればせながら観賞。

静かだが、とてつもないエネルギーを持った映画を観た。
この映画には見過ごされているヒリヒリした現実と
現代社会の縮図が圧倒的な密度で凝縮されている。

あらすじはこうだ。

59歳にして心臓病にかかりドクターストップで
働くことができなくなったダニエル。

そこで国からの金銭的援助を求めて福祉事務所を訪れるんだけど、
まるで松本人志のコントかのように複雑過ぎる手続き。

ようやく乗り越えたと思っても、就労不可の認定が下りないという
不条理ブラックコメディかのような現実を突き付けられる。
で、ついには公務員相手に切れちゃう。













そんな時、同じく理不尽さを目の当たりにして激高しちゃう
移民系のシングルマザーに出会う。
で、ダニエルは彼女をかばい、公務員に切れて追い出されちゃう。












つまりこの映画では、
民主主義国家における「福祉」とは何なのか?
そして、「福祉」とは本来、”弱者”を守るものであり、
いやむしろ”弱者”ではなくても、
”国民”を国家が守る制度であるわけだが
これがいかに機能していないかという現実を
80歳の巨匠ケン・ローチは真っ向勝負で胸に突き刺してくる。

そしてうまいなと思うのが
(80歳の巨匠に「うまいな」ということ自体がコントだが)
ダニエルやシングルマザーのケイティに”THE公務員”的に
マニュアル通りにビー玉のような目で説明対応する公務員達の描き方だ。












観賞者は序盤、まるでコントのように社会(福祉)から見放される
ダニエルに「気の毒だな…」とシンプルに感情移入する。
しかし、公務員に逆切れして、嫌味としか言いようがない暴言を吐いて
立ち去るダニエルやケイティのシーンを見ているうちに
なんだか今度は少しだけ公務員側の気持ちになってしまうのだ。

あれ?この人(公務員)たちも社会制度の被害者なのでは?と。

だって60前後のおじいちゃんが
逆切れしたくなるほどの制度を作っているのは
彼らではなく、政治家なんだから。

現実をなにもわかっていないのは彼らではなく、政治家なのだ。
でも80歳の巨匠は、決して”公務員側の苦悩”みたいなものを
この映画では描かない。
徹底して社会的弱者側の目線で映画を進めていく。
2006年麦の穂をゆらす風』でもパルムドール受賞













その理由はパルムドールの受賞スピーチで語られている。

映画にはたくさんの伝統がある。
その一つは、強大な権力を持ったものに
立ち向かう人々に代わって声をあげることだ。
そしてこれこそが、私の映画で守り続けたいものだ。

この言葉通り、映画は始めから終わりまで徹底して
巨大な権力(政府)批判のスタンスを貫き続ける。
申請が通らなすぎてムカついて役所の壁に落書きして
通りがかりの無職のおじさんに絶賛されるダニエル












80歳の巨匠が描いたその”声”は、
観賞者にこれでもかというほど届いて響く。
知るべき現実がこの映画には詰まっている。
貧困から空腹に耐えかねたケイティは…
このシーンは思わず目をそむけたくなるほど”残酷”だった…















そして個人的に最も泣けたのは、
体調を崩し、家にこもっていたダニエルを
ケイティの娘が尋ね、ドア越しに語りかけたシーンだ。










娘「1つ聞いていい?前に助けてくれた?」

ダニエル「たぶんね。」

娘「じゃあ助けさせて。」

ー無言で扉を開けるダニエルー


泣ける。

”あなたは私を助けてくれた”
だから今度は”私があなたを助ける”

この当たり前といえば当たり前、
人間の”良心的本能”ともいえる行動。
あなたは出来ていますか?
そう問いかけられているようで、観賞後、思わず巻き戻し、
このシーンだけ3回くらい観直した。
まるで道徳の授業を受け直すかのように。

一度は表明した引退を撤回してまで
80歳の巨匠が描きたかったイギリスというか世界の現実。

人と人とはこうあるべきだということを濃密に描いた
2度目のカンヌ映画祭パルムドール受賞も納得の傑作。

90点に届かないマイナス1点は、
”思想が強すぎる”という個人的感覚です。
巨匠、生意気言ってすみません。