注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2015年3月7日土曜日

映画『アメリカン・スナイパー』85点


2015年3月1日観賞。
良い映画だった。

評価すべきポイントは大きく分けて2つ。

●単純な戦争賛否映画では無い
●無音のエンドロール


しかしまず、この映画が空前の大ヒットするアメリカという国は本当に奇妙だ。

「アメリカ人は一体どんなメンタリティーでこの映画を観るのか?」

そんな疑問が映画冒頭から終わりまで消化されること無く
イーストウッドは淡々と「史上最強の狙撃手」と呼ばれ、
160人を射殺したクリス・カイルの人生を描く。

カイル役を演じたクーパーは役作りで18キロ増やしたという














アメリカ本国では戦争賛美映画だとか、
この映画を批判する奴は極左だとか、
賛否両論渦巻いてるらしいけど、
個人的には、これは全くもって戦争賛美映画ではないと感じた。


まずこの映画は、戦争映画らしい、
「俺たちの軍隊最強だぜ!おらー!!!!」的な
街中で銃撃戦おっぱじめて、敵をランボー的に派手に射殺したり、
爆弾落として街ごと殲滅させたりという軍事的抗戦が
ほとんど描かれていない。

映画の中心は、クリス・カイルが圧倒的な狙撃技術で
女・子供関係なく「イラクの野蛮人ども」を射殺していくシーンなのだが、
(※カイルは終始映画の中でイラク人を「野蛮人」と呼んでいた)

この一見ただのスナイパーものに見える射撃シーン、
実は究極のニヒリズムを抱えている。

そのニヒリズムの正体を解説する前に整理しておきたいのが、
爆弾を手に持ったイラク人の女・子供に照準を合わせたカイルに、
こんなふうに「お前の判断で撃て」と指令が来るシーン。











なぜ引き金を引かなければならないのか?














こんな指令を年中受け続けたらそりゃPTSDになって心蝕まれるわ!
っていう「戦争って本当に恐ろしい・・・」という月並みな感想と、
さらにこの指令を受けて女に照準を合わせて、
何とも言えない苦しみの表情を浮かべながらも任務を遂行するカイル。
アカデミー賞主演男優賞ノミネートと、
演技力の幅を見せつけたクーパー















当然それを繰り返し、心を病んでいく・・・
というストーリーを見て、「戦争って本当に恐ろしい・・・」という
月並みな感想ミルフィーユがもう一層追加される。

でもこの映画が本当に皮肉的で、
個人的に評価したいのは、そこではなくて・・・

この映画内でもそうなのだが、
カイルは「殺された相手を気の毒に思ったことはないか」と問われ、
毎回明確に「全くない。戦場ですべきことをしただけだ」と答えている。

これだ。
本当に恐ろしいのはこれ。

アメリカ史上最高の狙撃手は、何度も言うように
女であろうと子供であろうと躊躇無く殺す。

なぜならそれは「戦場ですべきことをしただけ」だから。

つまりイラクはアメリカ国民共通の敵であって、
大量破壊兵器を持った「野蛮人ども」であるとカイルは「信じている」からだ。
彼の中での「正義」は、そこにある。
いかに悲しげで苦悶の表情を浮かべても、それでもイラク人を殺す、
なぜならカイルはそれが「正義」だと「信じている」からなのだ。


だけど皆さんご存じの通り、そのカイルが「信じている」
イラクが敵だという根拠=大量破壊兵器は「無かった」のだ。

ただひたすら「国のために」、「9・11」で殺されたアメリカ国民のために、
「9・11」で傷ついたアメリカのために、
史上最高の狙撃手クリス・カイルは、「戦場ですべきことをした」のに、
実はその戦争に根拠や正義は存在しないに等しかったのだ。

そんな現実が明らかになった、今、2015年に
この映画をアメリカ人はどんな気持ちで見ているんだろうか?

大ヒットする国民心理って一体どうなっているのか?
奇妙、奇天烈すぎるアメリカという国。


そして何と言ってもこの映画は、ラストのエンドロールにしびれる。
一部話題にもなっていたが「無音」なのだ。
音楽が無いエンドロールって見た記憶が無い。

映画館は、「お前ら静かによく考えてみろ」と
イーストウッド大先輩にスクリーン越しから言われているかのような
奇妙な静寂に包まれていた。

この静寂は劇場で見なければ味わうことが出来ない。







2015年2月16日月曜日

映画『フォックスキャッチャー』80点


2015年2月15日観賞。


今年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞し、
アカデミー賞でも5部門にノミネートしている作品。


監督のベネット・ミラーは、
『カポーティー』やブラピ主演の『マネーボール』が有名だが、
ドキュメンタリー出身の監督らしく、
実際に起きた事件を徹底して静かに淡々と描ききった秀作だった。


その実際に起きた事件というのは、

1996年にアメリカで起こった
デュポン財閥の御曹司ジョン・デュポンによる
レスリング五輪金メダリスト射殺事件

というもの。



とにかくこの映画の特徴は、先述した通り、
実際に起きた事件を、大衆映画らしい大団円や脚色を一切排除し、
徹底的に淡々と描ききっていると言うこと。

そしてもう一点は、が登場人物を通して
「人間の愚かさ」が凝縮されているという点だ。


その愚かさをいくつか紹介すると、まずは「金持ちの愚かさ」。
スティーヴ・カレル演じるジョン・デュポン。
この演技が正にアカデミー賞級のインパクト。
ずっとこんな顔してるデュポン
















写真見返すだけでもゾッとするほどのクソ御曹司っぷり炸裂で、
「狂気の沙汰」という言葉しか見当たらない。

金に物言わせる&人を見下す=友達いない&マザコン・・・
有吉さんに良いあだ名見つけて欲しいくらいクソ人間要素の宝庫。

超通俗的感想だが、「金持ってれば良いってもんじゃないな」って
この映画のデュポンが証明してくれている。


で、このクソ人間の金に物言わせる感に見事に引っかかるのが
体育会系筋肉バカのチャニング・テイタム演じるマーク・シュルツ。

ロス五輪のレスリングで金メダルを獲得したのに金が無い。
インスタントラーメン食って次のオリンピックに備える。
そんな貧乏な金メダリストに目を付けたのがデュポン。

大豪邸に招かれ場違い感が凄いシュルツ
















お前のスポンサーになってやるぜ的なデュポンに
「最高だ!この人最高だよ!やっと俺のことわかってくれる人が!」
ってな具合に瞬間的に心酔してしまう。

そんな役を演じたチャイニング・テイタムの演技も見事なモノで、
ゴリラみたいな歩き方したり、
お前脳みそ筋肉かよ!って突っ込みたくなるような言動を見せる。

で、それを見下してコントロールしながら、デュポンさん最高です!
って言わせるデュポンという構造。

で、そんな構造からなぜ殺人事件に至ってしまうのか?
そこ説明しちゃうとこの映画を観る動機を無くしてしまうので書きません。


ただ言えることは、この映画はとても怖いです。
基本的に静かな映像が淡々と流れるので、
デュポンの狂気じみた顔や所作の怖さが倍増する効果を持っているし、
鼻でかいな・・・と思ったら付け鼻らしい!
















チャイニング・テイタム演じるシュルツの兄貴役のマーク・ラファロ
めちゃくちゃ演技上手いし、何よりこの映画唯一の正義を感じさせる
救いの役割にも成っているし、
映画全体としてとてもレベルの高い作りになっていると思いました。

ただデート映画ではありません。
何せ明るい映画では無いので。

まぁカンヌが選ぶ映画って時点で大衆迎合的では無いので、
逆にこの映画見に行こうって誘ってくる女の子がいたら
それはそれで逆に何を狙っているんだと訝しがってしまう
難しい映画って言う結論で良いですかね。






2015年2月4日水曜日

映画『LUCY/ルーシー』67点


劇場で観たかったけど、DVDにて観賞。

『レオン』以降、少し映画が好きな人であればだれもが

「この人絶対才能あるんだけどな…おかしいな…」
的な監督ランキング圧倒的上位に食い込むリュック・ベッソン先生。


今回も『マラヴィータ』同様、きっとダメなんだろう…
予告動画は面白そうだけど…


なんて、なぜか少しすね気味で観賞スタート。


設定としては、「人間の脳は、10%しか機能していない」
っていう大命題がまずあって、

スカヨハちゃん演じるルーシーが、わけのわからん状況に巻き込まれ、
10%を100%まで機能させる薬を体内に吸収したことによって
とんでもない人間に変貌して、
「おっす!おら悟空!」並みの強さを手に入れ、大爆発!
最強感の割にはちょっと太くない?って感じが逆に良い















って映画。


感想の結論から言うと、個人的には

「リュック・ベッソンって(良い意味で)超バカじゃん!」

「超バカ」って感想は、ネットで少し検索すれば出てくる
この映画に対する賛否両論の否にも当てはまる部分はあるんだけど
きっと彼の脳みそを総結集させると、こういう映画が出来上がるというか、
こういう映画を作りたいんだなと。
こんな風に他人の携帯電話の会話を聞き取ることが出来ます
そこに「なぜ」という解説はゼロっていう逆の爽快感














レオン的な哀愁漂うハードボイルドではなく、
こういうハチャメチャな、ある意味コメディにすら見える
アクションムービーを作りたいんだなと。
だからこの映画を見終わって、ある意味
「これぞリュックベッソン!」って映画なんじゃないかこれは!
と思い始めてもおかしくないくらい突き抜けた作品になっている。
こんな風に人を浮かせることも出来ます
そこに説明は一切ありません












とはいえ、『taxi』シリーズで腕を磨いた
カーチェイスシーンは、やっぱり世界最高レベルと言っても
過言ではない緊迫感と迫力だし、
スカヨハちゃんの何とも言えないキックアス感も良い味出してた。


でも一番笑えたのは、いや、面白かったというべきか、
「人間の脳は、10%しか機能していない」っていう
この映画の根幹となるテーマへの学術的アプローチ。

モーガンフリーマンがそれに関する権威的な学者を演じてるんだけど、
大学で講演するシーン「冒頭」あたりは、















「ほうほう、なるほど。人間より脳を使ってるのは唯一イルカなのね…」

と、観ているものを「それなりに」世界観に引き込む説得力を持つ
展開を見せつけてくるのだけれど、その展開は早々に挫折する。

挫折してないのかもしれないけど、途中からなんかめちゃくちゃになる。
突っ込みどころ多すぎて、芸人ですら突っ込みを放棄したくなるほど
破天荒な展開に、疑問に思う俺がバカなのか?と思うほどベッソンは突き進む。


そこで思うのは、
リュックベッソンがバカなのか、それともリュックベッソン的には
「そんなの関係ねー!」というスタンスなのか?


最近見た『インター・ステラー』の、正解がどうか全くわからないけど、
とりあえず最新学説盛り込みまくってます!どや!に
結局負けて、何となく分かった気になって観賞続行!みたいな世界観には
到底及ばない説得力の無さ、設定の無茶苦茶度合がずば抜けている。
で、設定や脚本って言うのはそこまで行ききると、
もはや面白くなるわけだけど、
その面白さの方向が向かう先はコントにしか見えない。


賛否の「否」を言う人たちは、きっとこのコントブロックへの嫌悪感だろう。
だって全く支離滅裂で納得感ゼロだから。


でも個人的にはリュックベッソン好き勝手やってるなー感を
思う存分感じられて、逆に好感を持てた。


だから実際映画の完成度とか脚本の綿密さとか言い出すと
50点くらいの作品なんだろうけど、
個人的にはリュックベッソンってホントバカだな!最高だわ!
89分って言う尺も最高!
でももっと短く出来るよベッソン!あの後半の人類の起源的なCGいるの?

って結局最後まで突っ込み所満載のベッソンはちゃめちゃ映画は意外と面白いぜ!
って意味でこの点数に落ち着きました。



2015年1月20日火曜日

なぜ映画を観るのか?vol.2

以前、『なぜ映画を観るのか?』という記事を
映像制作に携わる人間の観点として書いてみたりしたが、
それとはまた違う観点で「なぜ映画を観るのか?」に対する答えを
最近見つけたので少し書いてみようと思う。


何か辛いことや、やってられないことがあったら、
ローン・サバイバー(78点)』のDVDを観ることにしている。

なぜなら

「この映画の主人公達以上に自分が絶望的であることは絶対にあり得ない」から。


この映画の主人公は世界最強とも言われる
アメリカの海軍特殊部隊ネイビーシールズの4人だ。












彼らの何がどう最強かというと、
訓練期間中に8割以上が脱落する中で生き残り、選び抜かれた最強部隊なのだ。

その想像を絶する絶望的で過酷な訓練は、
映画の冒頭にも実際の映像らしきものが差し込まれるのだが、

両手両足を縛られて、プールに突き落とされるという
もはや過酷というレベルを超え、拷問に近いものだ。

そんな訓練をくぐり抜けた猛者どもの最強ぶりは様々な映画でも描かれていて、
キャプテン・フィリップス(82点)』では、
数百メートル離れていて、さらに揺れた船の上から、
揺れた船に乗る海賊を一発で射殺するという離れ業をあっさりとやってのけたり、


ゼロ・ダーク・サーティー(84点)』では、
あのビンラディンの暗殺をした部隊でもある。















その世界最強の男達が圧倒的な絶望的状況に追い込まれるのが
この『ローン・サバイバー』だ。
最強の男達が体中ボロボロ。血だらけ。















この映画、何が絶望的かって、
米軍4人に対してタリバン300人以上。しかも実話。

全身骨折は当たり前。
そこにはハリウッドお決まりの「お前はなぜ打たれないんだ!」的な
お決まりの主人公だけはなぜか被弾しないなんていうフィクションは存在しない。

全身あらゆる箇所をタリバンに打たれまくって体中穴だらけ。血だらけ。

タイトル通り一人しか生き残らない。
世界最強と言われるネイビーシールズの彼らでさえ、多勢に無勢。


それでも彼らは死ぬ間際まで世界最強の部隊としての意地を見せ続ける。
圧倒的な射撃の腕はもちろん、
打っても打っても数が減らないタリバン軍団に、
信じられない角度の断崖絶壁まで追い込まれて、
万事休すかと思ったら、1秒の間もなく「飛び降りるぞ!」と4人ともダイブ!













極限に追い込まれてもなお、この決断力、判断力の早さ!
当然石ころのごとく断崖絶壁を転がり落ちる彼らは全身ボロボロ、
各所骨折のままさらに追い込まれていくのだが・・・


そう、つまりなぜこの映画を観るかというと、
この人達の絶望感に比べれば、自分の痛みや悩みなどたいしたことは無いと。
むしろ比べることすらおこがましい。


こういう映画の使い方、見方もある。それが今回の結論。


2015年1月3日土曜日

映画『DOCUMENTARY of AKB48 The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?』採点無し




4作あるAKBのドキュメンタリー映画は、これまで全て観てきたが、
※前作の感想はコチラ
今作は過去最も多くのイベント・事件
(大島優子卒業・握手会襲撃事件・総選挙など)が
収録されていると言っても過言ではない。

が、皮肉にも最も内容の薄いドキュメンタリーとなってしまっている。
と、悲しいかな、個人的には思う。


「AKB」というシステムを構築し魅力たらしめている根幹である
「物語性」みたいなものがもはや限界に来ていて、
この映画内では、あらゆる角度からお話にしていこうっていう
意気込みだけは伝わってくるけど、
それは結局大した波=物語にはならないという
非常に辛いジレンマを感じる作品だった。

※AKBの物語性から見る楽しみ方についての記事はこちら
→『AKB48について


紅白歌合戦で突然発表された大島優子の卒業に
動揺を見せるメンバー、泣きじゃくるメンバー、
それぞれの表情を見れば感情の起伏は十二分に伝わるし、
衝撃を与えた出来事なんだろうな、くらいは分かる。


だが、この映画では、その「事件」をキッカケにして、
起きるべき「物語」は発生しているようには見えない。

あるとすれば、大島の卒業を期に、
「自覚を持った渡辺麻友が指原を破り1位になった」
というファンじゃ無くても知っているような、
深読みの必要が無い公然のつまらない事実だけで、
映画を観てもそういったことしか読み取ることが出来ない。


かつてブログに書いたような「前田敦子の卒業」から読み取れる
「物語」は全く存在していないのだ。だから面白くない。
ただ若くてそこそこ可愛い子達が右往左往していて痛々しいだけだ。


だから「大組閣」と題した非常に内輪向けのイベントで、
(AKBがSKEいったり、NMBがAKBいったりみたいなイベント)
名前も知られていないような若手の子が、ただ一人名前を呼ばれず
過呼吸で運ばれてしまっても、そこに物語が存在しないので、
本当にただただ惨めでかわいそうで痛々しい少女が過呼吸に陥っている
映像にしか見えなくて、思わず再生ボタンを留めそうになるほど、
無意味で不快な時間だった。


世間を騒がせた川栄・入山の傷害事件も、
映画内の描かれ方では結局、
「暴漢に刺された」という「点」の事実のみであるから、
ニュースを見ているのとさしも変わらない不愉快さを感じるだけなのだ。

別にこの事件をおもしろおかしく物語にして欲しいというわけではない。
こんなどうしようもない事件すらも映画に盛り込まないといけないほど
現在のAKBには「物語」が失われてしまっているのか?ということだ。


こんな現状をシステムの限界と呼ばずして何と言えば良いのだろうか。



そんな限界尽くしのAKBを支え続けた大島優子はついに卒業した。

この映画内で唯一物語性を感じ、切なかったのが、
大島優子が卒業に際してのインタビューで語っていた内容だ。


AKBを何のためにやっていたのか考えてみたんですけど・・・
最初はもちろん自分のためだったけど、いつの間にかシフトチェンジした。
それは、仲間のためにAKBをやっているんだ。
仲間がいるから、自分が頑張れば仲間も絶対良くなる。
仲間のためにやってたなって、ここ何年かで気付きました。
だからどんどん仲間がやめていったから、心細くなっちゃったんですよね凄く。


卒業したら誰もが晴れ晴れしい顔になるのに、
哀愁と悲しみすら感じさせる顔でこんなことを語っていて、
ブログに書いた事『大島優子の卒業について』と一致しすぎて、
新年早々何とも言えない気持ちになった。

以下ブログより

かつて秋元康は
「AKB48とは「大島優子の一生懸命さ」のことである」
と言ったらしいが、
誠にこの言葉は正しく、
大島優子が一生懸命になればなるほど
前田敦子は唯一無二の絶対的センターになり、

そんな前田去りし後は、
大島優子が一生懸命になればなるほど
後輩達にとっての越えるべき壁としての
存在感、意味が増すという哀愁。


この映画の「物語」は大島優子にしか無かった。
この写真の表情からだけでも、
少しAKBを知っていれば語りたくなってしまうような、
そんな「物語」を全力で作り上げてくれた彼女に心から拍手を送りたい。


2014年12月28日日曜日

映画『ブルージャスミン』75点


映画館で観たかったウディ・アレン作品をDVDにて観賞。

非常に皮肉に満ちたファッ●ンセレブなコント映画だった。


簡単に言うと、ケイト・ブランシェット演じるジャスミン(偽名)が
クソ詐欺師で大金持ちになった夫の金で贅沢三昧していたモノの、
結果旦那のクソ詐欺がバレて、一文無しに。


そんなセレブの虚勢と嘘にまみれた転落人生を描いたのがこの映画。


このジャスミン役でケイト・ブランシェットは
『ゼロ・グラビティ』のサンドラブロックらを押さえて
アカデミー賞主演女優賞を始め、
各映画賞の主演女優賞を総なめ。


でも映画を観れば、納得できる素晴らしすぎる「痛い女」を演じきっている。
一文無しなのにブランドに身を包み
ファーストクラスに乗る狂いっぱなしのジャスミン

















とにかく彼女に共感できるポイントは一つも無い。
破産しているのに虚勢を張ってブランド品に身を包み、
庶民的な妹を愚弄し、ブルーワーカー的な妹の彼氏も馬鹿にし、
金持ちが集まるパーティーで、無職のくせにインテリアデザイナーと嘘をつく。

とにかく中身が何もないクソみたいなセレブ崩れを演じるんだけど、
特に凄いのが、地の底まで落ちているのに「セレブ感」が抜けないこと。

これはケイトブランシェット天性の「王女感」から来るのだろうか。

実際彼女は2004年アビエイターでアメリカの大女優
キャサリン・ヘプバーンを演じ、アカデミー助演女優賞を受賞したり、
『エリザベス:ゴールデン・エイジ』で、まさに王女中の王女
「エリザベス1世」を演じているわけで、















そんなことからウディアレンは彼女をこの映画に抜擢したんだろうか。

そのキャスティングが既に皮肉の始まりって感じだが、
ケイトブランシェットのジェットコースター的な演技だけで
90分見れる、つまり主演女優賞にふさわしいブラックコメディ映画でした。







2014年12月18日木曜日

映画『ゴーン・ガール』90点


2014年12月14日観賞。


個人的に最も好きな監督デヴィッド・フィンチャーの最新作。
これがもう、ひいき目無しに最高だった。本年度最高傑作!


お話としてはタイトル通り、妻がゴーンしてしまう話なんだけど、
何が最高かって、フィンチャーが本気を出したら、
こんな『世界トップレベルの不条理夫婦コント』 が成立してしまうんだ!
って所。

サスペンスだとか、ダイナマイト級のスリラーだとか、
色んな触れ込みはあるけど、これは立派なブラックコメディ!
怖すぎて、こんな人間どもが生きる世界はもはやコント。

ベン・アフレックの魂抜けた顔。これがコントの肝。


















しかもそれでいて、
ストーリーは観賞者の読みを裏切り続ける二転三転の
繰り返しでエンターテイメントとしても非常にレベルが高い。


主演のロザムンド・パイクは、こりゃもう間違いなくアカデミー賞とるな!
っていうほど、劇場騒然、夢に出てくるほど強烈なエイミー役を
怪演という言葉以外浮かばない見事な演じっぷり。
こんな良い女優だとはつゆ知らず。
その辺を見いだすところも流石フィンチャー。

「女は怖い」とかいうレベルの「怖さ」じゃ無い
コントとしか思えないレベルの「怖さ」なのだ
















フィンチャーと言えば『セブン』や『ファイトクラブ』といった、
好きな人は好きみたいな、かなりクセのある映画を作る人間って
イメージが世間的には強いけれども、
この映画はある意味一見フィンチャーらしからぬ、わかりやすい映画。


だけども一筋縄じゃ行かないのがさすがフィンチャーで、

「一組の夫婦」を通して、マスコミ、警察、庶民、そして結婚という、
人間誰しもが関わり、当事者となる事象、または人間そのものの
醜さを神目線で映画化し、遊んでいるようにさえ見えるこの作品。















それでいて目に見えた不快感は与えず、
劇場の観客からも割と大きな笑いが起こるほどの
本当のコントに仕立て上げた腕は一流としか言いようが無い。


何よりも、こんな話を「笑える」映画に仕立て上げた技術が最も凄い。
相当高度なテクニックだと思う。
まっちゃんにもこんなブラックコメディ撮って欲しいなぁ。


皆さんも年末年始、
劇場で一体となって笑って、驚いて、引いて、笑って、引いてみては?