注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2014年5月31日土曜日

映画『ディス/コネクト』85点


2014年5月25日観賞。


これは現代社会をリアルに描き出した非常に優れた作品。
映画館じゃなくても良いから、あらゆる人に観て欲しい。


ベネチア映画祭では、
10分間にわたるスタンディングオベーションを受けたことも納得。



yahoo映画にある簡単なあらすじ

ソーシャルネットワーク上で起きた事件を引き金に、
大切な相手との関係を修復しようと努力する人々の姿を描き出す。


『マグノリア』・『クラッシュ』以来の群像劇傑作みたいな
ふれこみがされていた今作だが、
エンディングに向かって全ての物語が回収されていく様は
非常に美しく、そのハードルもしっかりと超えてくる。


そして何よりもこの映画の優れた点は、
現代社会においてもはや避けて通ることが出来ない
「ネット」で「つながる」=「コネクト」人々を
通り一辺倒の視点では無く、様々な人物を用いて描ききっている点。


例えば、Facebook。

『ディス/コネクト』では高校生を題材にして、
今や全世界13億人が利用していると言われるFacebookの闇を描き出す。

やんちゃボーイズ的な高校生の二人組。
やんちゃがパパにバレてシャレにならない状況に追い込まれた二人
















この二人組がFacebookに、美人でビッチ気味な
女子高生の「なりすましアカウント」を作成し、
いかにも女子に疎そうな内気な少年を引っかける。
学校でほぼしゃべらないヘッドホンが友達
















そして内気な少年は見事に引っかかり、
これまた現代社会では芸能人すらもその餌食となる
お恥ずかしい「自撮り写真」を、やんちゃボーイズ管理の
ビッチ女子高生アカウントに送ってしまい学校中にばらまかれてしまう。

もちろんその「ばらまき」はビラを配るのでは無く、
「SNS上」で爆発的に拡散するのだ。
その結果、内気な少年は…

その他にも、私たちが一度は「コネクト」してしまったことがある、
ネット上にはびこる様々な誘惑が様々な人間を通して描かれる。


Twitter、チャット、遠隔操作、ネット詐欺、児童ポルノ、スマホ依存症…






















何の気なしに、または「心の隙間」を埋めるために、
一度「コネクト」してしまったが故に、歯車が少しずつ狂い始め、
やがて崩壊していく…そんな様を非常にリアルに描き出している。

さらにこの映画が素晴らしいのは、
単純に「ネットは危険だ!最悪だ!」という、
批判めいた主張のみで映画を終わらせていない点だ。

その描き方についてはネタバレになってしまう点も出てくるので、
是非劇場で確認してみて欲しい。


そして何よりも印象的だったのが、
報道局の敏腕レポーターとして活躍する女性記者ニーナ。













こいつが本当に絵に描いたような人間くさすぎる人間で、
出世のためなら平気で上司と寝るし、超勝ち気。

そして児童ポルノの特ダネをとるため、
巨大児童ポルノ組織のサイトにアクセス=コネクトし、
利用されている一人の少年との接触を図る。

取材のため、自分の特ダネのため、
彼に上手く近づき、手なずけ、結果的に彼女は
CNNで特集を組まれるほどの取材VTRを完成させ、名声を得る。

が、調子に乗ったのか、これを機に変な人間くささが顔を見せ、
「少年を助けてあげたい」という浅はかすぎる偽善心を持ち始める。
偽善の結果がこれ。自宅に招いていちゃつく始末。















これは報道機関に勤める人間として
決して踏み越えてはいけない一線で、
本当に「彼を助けたい」のであれば、
その悪しき組織の殲滅を図るため警察に捜査を促す
記者としての腕の見せ所であるし、
それでこそ、結果的に彼を救うことが明らかなのに、
「彼を裏切ることになる」とかほざいて、FBIへの協力を拒む。

そんな「プロ失格の私情」で彼と「コネクト」した彼女の結末は…


ネット上で「コネクト」した彼と、
現実社会でも物理的に「コネクト」した彼女。


顔の見えない、正体の分からないネットで交流することなど
真のコミュニケーションとは言えない!
と、一見主張するように見えるこの映画の真骨頂はここにもあり、

Face to Faceで直接「コネクト」しても、
それに向かう気持ちが偽善であったり、中途半端なものであれば、
結局は何もつながることは出来ず、破綻する。
そしてその破綻によって起きる傷の深さもより深くなってしまう。


あなたは、何と、どう、コネクトしているだろうか?
この映画を観て見つめ直してみるのも良いかもしれない。


2014年5月23日金曜日

映画『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』55点


2014年5月23日観賞。


『ダークナイト』以来の傑作アメコミ映画
みたいな触れ込みだったので、観に行ってみた。


しかし、そんなハードルは超えることが出来ず。


そもそもキャプテンアメリカに思い入れゼロの自分が
前のシリーズを復習することも無く観に行くことが不正解の始まりで、

「キャプテンアメリカ」って名前そのものを
何の抵抗もなく受け入れることすら僕には難しい!
だって日本でいうならば「日本主将!」みたいなことでしょ?
それはいくら何でも痛すぎませんか?
やっぱりこの人、冷静に観たらおかしくない?


















でもそれが逆にアメリカらしい、
正にアメリカのスーパーヒーローなのだ!
と理解すべきなのか?みたいな葛藤を持ちながら観賞する私は失格。


いや、フォローするならば、アクションシーンは素晴らしいし、
お腹いっぱいで吐きそうだった『マン・オブ・スティール(65点)』と
比べれば、小気味よく、切れ味も迫力もあった。


だけど、そんなことより「スカヨハちゃん大人になったなぁ」
圧倒的に美しいけど、この映画で観たい人では無い














って事の方が印象に残る程度の映画で、

渋谷TOHOシネマズ帰りによって巻き込まれた終電満員具合の
辟易感をぬぐいきれるほどの作品ではありませんでしたよキャプテン!

2014年5月4日日曜日

映画『プリズナーズ』85点


2014年5月4日観賞。

153分あるが最後まで緊張感を保ち飽きずに見れる。


話としては単純で、自分の娘を誘拐された父親が
なかなか犯人にたどり着けない警察に苛つき、
自ら犯人捜しを始め、自分の解釈で犯人にたどり着き、
拷問し、自白を強要する…みたいな話。


FBIの統計によると、全米で1年間に行方不明になる児童は
何と80万人にも上り、それは1分の間に1.5人が誘拐されている
ことになるらしい。

ということから、この映画の売り文句は、

「もし自分に同じことが起こったらどうする?」
「ひと事じゃない」

みたいな方向性になってくるんだけど、
映画中盤くらいで、その投げかけに対する明確な答えが
スクリーンから迸り始める。


今や良いオジサン代表みたいな立ち位置になりつつある
ヒュージャックマン演じる娘を誘拐された父親は、















わりと早い段階で我を失い、理性を失い、倫理観を失う。
つまり見た目からして圧倒的に犯人面のポール・ダノ演じるアレックスを
ゼアウィルビーブラッドでも存在感抜群













無茶苦茶な拷問にかけて自白させようとするんだけど、
全く持って上手くいかない。

もしかしたら犯人じゃ無いのかも…
いや、絶対に犯人だ!と強く自分に言い聞かせるがごとく、
がちがちのクリスチャンでもある父親は、ことあるごとに神に祈る。

と、同時にこのあたりから頑張ってた親父ジャックマンに
全く持って感情移入出来なくなってくる。
なぜなら無実かもしれない、でも見た目は完全に犯人の
アレックスをあまりにもボコボコにしまくるからだ。

で、そんなことはつゆ知らず、犯人を冷静に追い続けているのが
ギレンホール演じるロキ刑事。
終始もの悲しい顔なのにイケメン























あまり詳細に書くとネタバレになるが、
いくら自分の娘が誘拐されたからといって、
証拠も無く犯人を捕らえたつもりになり、
しかもそいつをぶん殴って自白を強要するということは
現在の法治国家において許される行為では無く、
警察の捜査に委ねることがとるべき行動なのである。


とでも言いたいかのように、ロキ刑事は苦戦しながらも
じわじわと真犯人に近づいていく。
暴走に歯止めがきかなくなったパパジャックマンとは対照的に。


で、観賞中も気になっていたのだが、
この刑事は明らかに変な柄の入った指輪をしている。
で、しかもそれが印象に残るような画を挿入してくる。













気になって調べてみたら、
この指輪の柄は「フリーメーソン」のロゴなんだとか。

不勉強で情けないけれども、
これはつまりキリスト教と対を成す意味の象徴で、
彼が冒頭の登場シーンでキリスト教的では無い「干支」について
話していることからも、「キリスト教徒ではない者」の象徴として
この映画に位置づけられていることが分かる。


ってことからわかるように、この映画はアメリカを語る上では
絶対に外すことが出来ない「キリスト教」に関する
ある程度の知識があると無いのとでは多少解釈が変わってくる。

もちろん、と言い切ると無知をさらすようで恥ずかしいけれども、
僕はそんな前知識無しに観てしまっているので、


例え我が娘が誘拐されて、自分の手の届く範囲に犯人がいたとしても
警察=政府に任せておくのが身のため=正解なんだよ!


みたいな「大きな政府最高!」映画だと解釈して観賞を終えてしまった。


だからこそ、最後に新犯人がこれら犯罪を企て、
実行に移した理由がよくわからないままにエンディングに突入し、
映画館全体が若干どよめいたほどの一見「納得いかない」エンディングを
「納得いかない」空気に同調して席を立つことになってしまった。


でも家に帰って冷静になってみると、
結局先に真実に辿り着いたのは「神」を信じたパパジャックマンで、
彼は過ちを犯したものの、結局生きてこの映画を終えることが出来た。


信じる者は救われたのだ。


けれども結局神を信じたパパジャックマンも
アレックスを生死の縁をさまよわせるほどボコボコにしてるわけで、
彼は生き延びても投獄される。

神を信じる者も信じない者も、結局何かに「囚われる」。
この映画に出てくる全ての登場人物達が「囚われている」のだ。
ある者は「神」に、ある者は「自分が信じる正義」に。

そんな二重三重にも様々な要素が入り乱れた評価の難しい映画。


でも何度も言いますが、153分、最後まで見応えあります。


2014年4月28日月曜日

映画『アナと雪の女王』60点



2014年4月27日観賞。


ディズニー映画って映画館で観ることほとんどなかったけど、
これだけ大ヒットしてたら観なきゃってことで字幕版を観賞。


伊集院光氏が「毒にも薬にもならない映画」と評して
賛否両論渦巻いていたけども、
個人的には、その表現に大きく頷ける。


圧倒的にいい映画でも無いし、圧倒的にダメな映画でも無いし、
かといって「超大ヒット映画」というハードルを、
しっかりと越えてきたわけでもないし、全く越えられなかったわけでも無い。
良くも悪くも無い。

というか、そもそもこの類いの映画には否定する要素が見当たらない。
そりゃそうだ、夢と希望のディズニー映画なんだから。


ってことでやっぱり「毒にも薬にもならない」は、正しい表現。


この映画を大絶賛する人も信じられないけど、
完全否定する人も信じられない、そんな映画。


とはいえ、評判通り歌は素晴らしかったし、
思わず帰宅してからサントラを何曲かダウンロードしてしまったけど、


個人的なこの映画のハイライトはそこではない。














むかつく王子を正面からストレートパンチでぶん殴るという
ディズニー史上最もパワフルなヒロイン主人公の誕生は、
まさに現代社会における女性のあり方を物語っていて、
主題歌よりも圧倒的に印象的だった。


そしてただ一つだけ批判に近いことを申し上げるならば、
公式HPにもある~「真実の愛」を描いた~は納得いかない。

真実の愛は『ブルーバレンタイン』のように残酷なのだ。

2014年4月24日木曜日

映画『LIFE!』60点


2014年4月23日観賞。



「この映画の主役は、あなたです」

というキャッチコピーのこの映画。


出版社に勤める妄想癖のある冴えない主人公サラリーマンが
表紙を飾るはずのネガを無くしてしまい大ピンチに。
ネガを探すため、写真家のショーンを探す旅に出るというお話。


要するに、「普通の男」が勇気を出して一歩踏み出し、
その勇気によって充実した人生を送ることが出来るという話。


という啓発系のポジティブ映画であることから、わりと評判も高く、
期待してみてみたけど、個人的にはあまりハマりませんでした。


もちろんストーリーそのものは特に否定する要素はない良い話だし、
映像も綺麗だし、音楽も非常にマッチしていて悪い映画とは思わない。










だけど逆に言ってしまえば、それだけ。


「それだけ」っていうのはつまり、主人公に特に感情移入が出来なかった。
僕はこの映画の主役には、なれなかったわけだ。


なぜなれなかったのか少し考えてみたんだけど、
偏重気味のフィクション的な見方になってしまうが、
この映画の主人公が最初から特に不幸に見えなかったからだと思う。


フィクションの定石として、
徹底的に不幸で、ダメで、周囲からもののしられたり、
追い込まれたりする主人公が、何かをキッカケにして激変して、
馬鹿にしてきた奴らをなぎ倒していくという構成がある。


人間っていうのは単純で、この定石を様々な物語に置き換えた
フィクションにカタルシスを覚えるわけだが、
この映画は、そのカタルシスが緩い。というか弱い。


さほど不幸では無い「普通」の男(そもそも普通って何?って話だけど)が、
勇気を出して冒険に行くと、急にスーパーマン的に事が進んでいく。

この「普通」から「スーパーマン」への振り幅が
大きければ大きいほど人は興奮したり、よし!いいぞ!やってやれ!
と感情移入すると思うんだけど、この映画にはその半沢直樹的要素が無い。


だから僕は劇場で終始、
「そこそこ美しい絵画を何枚か観ている」程度の感情起伏しか起きなかった。

「そんな自分は素直じゃないんですかね?」なんて自問自答しながら。





2014年4月18日金曜日

映画『ローン・サバイバー』83点


2014年4月17日観賞。


久しぶりに一人映画したけど、良い映画だった。
先に言ってしまえば、この映画の中核となる戦闘シーンは、
『プライベートライアン』のそれに匹敵する
戦争映画史に残るハイレベルな緊迫と絶望を
完璧に表現しきった映像美だった。


さて、そんなローン・サバイバーだがWikiによれば・・・

アメリカが誇る精鋭特殊部隊ネイビー・シールズによる
アフガニスタンにおけるターリバーン指導者暗殺作戦中に起きた、
ネイビー・シールズ史上最大の悲劇といわれるレッド・ウィング作戦を、
実際に作戦に参加し、ただ一人奇跡の生還を果たした
元隊員マーカス・ラトレルの手記
『アフガン、たった一人の生還』を原作に映画化。



ネイビーシールズと言えば、つい最近DVD化もされた
キャプテン・フィリップス(82点)』でも大活躍した
超最強精鋭部隊である。


なにがどう超精鋭かというと、
訓練期間中に85%が脱落するという過酷な訓練を乗り越えた
まさに「最強」という言葉がふさわしい男達の集まりなのだ。

ちなみにその「過酷」っぷりは映画冒頭で
実際の映像を交えて紹介されていて、一番引いたのは
両手両足を縛られたままプールに突き落とされる訓練。

もはや訓練なのか拷問なのか意味不明だが、
そんな地獄のような試練を乗り越えた精鋭部隊。
ラストで実際の4人の写真が出てくるが、皆似ていた











ところがどっこい、最強の4人がタリバンにフルボッコにされる。
本当に為す術無く、徹底的に劣勢に追い込まれる。

血だらけで体中傷だらけでボロボロ











200対4なんだから、そりゃいくら最強だろうと
そうなるが自然の道理ってことなんだけど、
この映画の真骨頂がここに凝縮されている。

アクション映画お決まりの、

いくら敵が主人公に向けて銃を乱射しようとも
なぜお前には銃弾が1発も当たらないんだ?

ダイハードのマクレーン警部 この人は絶対に被弾しない












ミスター不死身 ジャックバウワー
被弾はするけど絶対に急所は撃たれない













そんなフィクション的甘えを一切許さないのが戦場。
というわけで最強の4人は被弾しまくる。
体中が穴だらけになる。
タリバンは容赦しない。
銃撃にとどまらず、バズーカ砲だって連発してくる。
殺しても殺しても出てくるタリバン










普段「どうせ死なないだろ」と安心してみていられる
アクション映画とは一線を画するノンフィクションが
そこにはあるわけで、彼らは「簡単に」被弾し、
あっという間に絶望的に追い込まれていく。

そして個人的にこの映画におけるベストシーンは、
追い詰められた4人が断崖絶壁の崖から飛び降りるシーン。

飛び降りるって言うか、もはや転げ落ちるだけなんだけど、
逃げ道がなさ過ぎて、選択肢が親ライオンが子ライオンを
崖から突き落とす的な崖から飛び降りるしか無いのだ。
なぜならタリバンは逃げても逃げても追ってくるから。

これだけの崖から落ちて逃げたら流石にもう追ってこないだろ
何て思っていたとたんにまたもや銃弾の雨あられが襲いかかる。
そんな絶望的状況がこれでもかというくらいにリアルに描かれながら
数十分以上続くのだから、緊張感は一切途切れることは無い。
そこにはアクション映画にある爽快感は全く存在しない。


そしてもう一つこの映画の重要なテーマ。
それはマイケル・サンデル顔負けの究極の選択的道徳授業。


何かというと、タリバンの幹部が潜んでいるとされる街を
雑木林の中から偵察していた四人だったが、
そこで運悪く地元の山羊飼いに遭遇してしまう。











四人は山羊飼いたちを縛り上げた後、彼らは悩む。
目の前にいる地元民をどうするべきか。
というわけで、上官に指示を仰ごうと無線を手にするが、
こういう時に限って通信状況が悪くて一切連絡は取れない。

さて、ここでどんな道徳の授業が開始されるかというと、


①罪なき地元民を解放
罪の無い人間を傷つけることは倫理的にも国際法的にも許されない
しかし解放すれば4人の存在をタリバンに通報する可能性大
つまり、自分たちの命が危険にさらされる危険性大


②地元民を縛り付けたまま放置
凍死したり狼に食われてしまうかもしれない=殺すことと同義

③地元民を殺害
結果的に自分たちの命を守るための「正当防衛」
しかし罪なき民を殺害した米軍は世界中から非難される


ここで4人がどんな結論を下したかは、
予告動画を見れば明らかであるが、
3つの選択肢、どれが正解だとか討論するつもりもないし、
道徳授業なんてクソ食らえだし、正解なんてどうだって良い。

そもそもこんな選択を強いられなければいけない状況が
現実世界に「実話」として存在し、結果的に相当数の人間が
この「選択」によって犠牲になっているという狂った現実がある。

そんな現実をこの映画はたたみかけるように教えてくれる。



そして、タリバンの圧倒的な破壊力の前に
「なぜ一人だけが生き残ることが出来たのか?」












この答えは、意外すぎるというか、信じられないものであった。

映画を観ていて、「は?こんなのあり得ないでしょ!」と、
急にフィクションを見せられているような、
危うく完全に冷めてしまいそうになるくらいに「あり得ない」理由。

その理由はぜひ映画を観て確かめて欲しい。
しかし確かめたとしても、それでも信じがたいくらいに「あり得ない」
そのわけを池上彰氏がさすがの解説で紐解いてくれているので、
是非、観賞後に読んでみて欲しい。


そんな良い映画であることは間違いないのだが、
90点に及ばなかった理由は、
最後救出されるまでの流れが「あり得ない理由」抜きにしても
美しすぎるし、タイミングが良すぎるし、よく出来て良すぎるから。

あれも実話なら間違いなく90点超えだけど、
アメリカ軍のヘリが来るタイミングとか
絶対にフィクションでしかあり得ないタイミングだったから。
ノンフィクションだったら謝ります。

2014年3月2日日曜日

映画『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』65点


2014年3月1日観賞。


やっぱり1の衝撃を超えることは無かったけど、
下らないアクションとして普通に楽しめる100分。
ただ、前作を好きな人間のハードルは全く超えていない。

この映画の最大のカタルシスはやっぱり
クロエ・グレース・モレッツ演じる小さなヒットガールが
その可愛い顔とは不釣り合いすぎる放送禁止用語連発して、
マフィアやギャングをぶっ殺しまくるという不道徳性。

何事もギャップが重要みたいなこと言いますが、
その極地を映画でやってのけたのがキックアス。













そのいききった不道徳性が最高に面白かったんだけど、
当然時は残酷に流れてしまうわけで、
クロエは今や立派で綺麗な大人の女になってるわけで。























そうなってくるとただ単純に一般人が正義のために
変装して、悪い奴をぶっ殺すだけの
不条理&不道徳的映画になるはずなんだけど、
ギリギリ踏みとどまってる今回のキックアス。


そのわけは、クロエが監督に

「あんた女の気持ちをちっともわかってないわ!」

と言ったかどうかはさておき、
自ら大幅に脚本を修正したと言われてる
「大人の女」になるヒットガールの苦悩がわりと
しっかり尺を割いて描かれていること。

その必要性に関しては議論の余地があるとは思うけど、
そうでもしないとただの理不尽殺戮映画になっちゃうわけで。


そして何よりもコメディ映画に仕上げていることだ。

「スーパーヒーローが現実に存在することは許されるのか?」

という、数年前に大流行したテーマは、
ダークナイトシリーズや、
このブログにも書いた『ゴッドブレスアメリカ』にやらせておけ!
とでも言わんばかりに、この映画にはそんな葛藤は存在しない。

その代わりになのかどうかはわからないが、
もはやハングオーバー化したボケの応酬。













映画館は心地よい笑いに包まれていたけど、
そこでふと思ったのが、
こういう不条理コントこそ松本人志の真骨頂じゃ無いかと。
まっちゃんが作ったこういう映画を観てみたいと。


そんな映画には関係の無い感想で、
この映画を見終わってしまいました。
まぁその程度の映画ということか。