注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2014年2月10日月曜日

映画『ザ・イースト』80点


2014年2月4日観賞。

米新聞紙「L.A. Times」が選ぶ
“2013年最も過小評価された映画”ランキングで
1位に選ばれたのがこの『ザ・イースト』だ。

※ちなみに2位は現在公開中の『LUSH』、
3位はこのブログでも79点を付けた『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ


確かにもっと話題になって良い秀作だった。


製作には名匠リドリースコットが名を連ね、
何よりも凄いのが、主演のブリット・マーリング。
彼女の名を世に知らしめたのは『アナザープラネット』
この作品も実は脚本に名を連ねる才女
























製作・脚本・主演の3役を兼ねた彼女は、かなりの才色兼備で、
ジョージタウン大学で経済学の学位を取得し、
ゴールドマンサックスの内定を蹴って業界入りしたという
異色の経歴の持ち主。


だが、この作品を観れば、
その経歴から繰り出された脚本であることに納得せざるを得ない。

そんな高レベルの社会派サスペンスに仕上がっている
この映画のストーリーを先におさらいしておこう。


環境汚染や健康被害をもたらす企業を標的に過激な報復活動を重ねる
環境テロリスト集団「イースト」からクライアント企業を守るため、
正体を偽ってイーストへ潜入した元FBI捜査官のサラ。

当初は彼らのやり方に反発を覚えるが、次第にその理念に正当性を感じるようになり、
カリスマ性をもつリーダーのベンジーにも心ひかれていく。

やがてイースト過去最大のテロ計画が実行されることになり、
サラは当初の目的と自らの本心との間で揺れ動くが……。

映画.comより引用


「環境テロリスト」という言葉、存在自体、
我々日本人にとってあまり馴染みのないものだ。

唯一と言って良いほど馴染みがあるのは、日本の調査捕鯨船も
攻撃の対象になったことで有名なシーシェパードだろう。














実際自分もこの映画を観るまで、環境テロリストに関しては
シーシェパードくらいしか名前を知らないし、
その活動内容すら全くといって良いほど理解していなかった。


だが、この映画は観賞者に「環境テロ」の是非を
主人公のサラを通じて、痛いほどに突きつけてくる。

こういう観賞者側に考えさせるキッカケを与える、
そんな映画が良い映画だと思う。



この映画における環境テロリスト集団「イースト」が行う
「環境テロ」は、例えばこんなものだ。


ある製薬会社が新薬を開発した。
その新薬は難病(何の病気か忘れた・・・ごめんなさい)の
特効薬として有効で、副作用もないまさに夢の薬・・・


だが、イーストは信じない。
そんな都合の良い薬があるわけがない・・・
薬局で安価に買えるはずがない・・・

それもそのはず。
イーストのメンバーの知り合いは、その薬の副作用で
脳に障害を起こしてしまい、最終的には鏡で自分を見ても
自分であることを認識できなくなってしまったのだ。

当然そんな体になった人は、社会的地位を奪われてしまい、
最後には自殺してしまう・・・

そんな薬を大手をふるって、CM打ちまくって笑顔で宣伝する
クソ企業を許すわけには行かない・・・

ちなみにイーストには医学の専門家もいるので、
学術的アプローチからのテロの根拠も持ち合わせている。

そしてイーストは行動=環境テロを起こす。
その企業の開発記念パーティーに潜入し、
企業幹部達が乾杯の際に飲むシャンパンに、
その新薬を入れ込むのだ。

※ちなみにこれはスカルスガルド演じるイケメン過ぎるイーストのリーダー
















製薬会社のCMが「真実」ならば、
いや、本来「真実」でしかあり得ないはずなのだが・・・
そのシャンパンを飲んでも何の問題も無いはずなのだ。

そしてイーストは犯行声明を発表する。
我々は製薬会社の役員達のシャンパンに、
お前らがどや顔で作り上げた新薬を投入したと・・・

企業側は自信を持ってカメラの前でこう答える

「何の問題もありません。だってこの薬は安全なんですから!」

そりゃそうだ。だって普通に薬局で買える薬なんだから。
問題が起きてしまったら、僕らは何を信用して薬を飲めば良い?


ところが・・・


数日後、カメラの前で「問題は無い」と言っていた役員の女性は

「なんだか私が私じゃ無いみたいなんです・・・
 自分が誰だかわからない・・・」


イーストのテロは見事「成功」してしまうのだった。

この一部始終を劇場で見せつけられた僕は、
何か胸くそ悪く、感情の居所がわからなくなった。

あなたはこのテロを支持するだろうか?
または正面切って不支持と言えるだろうか?


かつてガンジーは、

「目には目を」では世界が盲目になるだけだ。

と言ったらしいが、


イーストの環境テロは、まさに「目には目を」である。
一体本当の「悪」は誰なのか?どこにあるのか?
環境テロという行為でしか、真実を議論できないのか?


観客である我々が突きつけられる、「究極の道徳授業」は、
潜入スパイとして彼らを監視し、罰する側の人間であるはずの
サラのメンタルを大きく揺さぶってしまう。

左のエレン・ペイジは良い味出してた
SUPER!のあの子とは思えない・・・















さらに、彼女の潜入スパイとしてのメンタルをブレブレに
してしまうのがイケメンカリスマリーダー・ベンジーの存在だ。















単純に言えば、彼女は彼に恋してしまう。
捜査に支障来しまくり、公私混同甚だしい!

ネット上のレビューでは、

彼に抱かれたことによって急に彼女に感情移入出来なくなった、
そこで「ザ・女」みたいな感情論見せられたら説得力ないでしょ・・・

みたいな意見を散見するが、僕はそうは思わない。
サラを演じ脚本を担当した本人もインタビューで、

「映画『ソルト』は好きだけれど、
あれは完全に男性の観点から執筆され、
それを女優が演じた感じだった。

女性が主人公のスパイ映画は、
常に男性の観点で描かれている気がするの。

だからわたしたちは、この映画で主人公の女性が
映画の経過とともに、より女性的になっていくように描いたの」


と、答えているように、意図的に「女性らしさ」を
脚本の展開に盛り込んだことが分かる。

完全にカリスマリーダーに惚れちゃってるサラ














ここからは自分の想像になってしまうが、
意図的に「女性らしさ」を盛り込むことで、
つまりそこに「感情」を差し込むことで、
彼女の言う「男性的スパイ映画」によくある、
「善悪二元論」に囚われることを避けたのでは無いか。


女性の感情論を挟むことであえてメッセージ性みたいなものの
明確性を取り払い、ネットにおける批判の言葉を借りれば、
「説得力」を排除し、あくまでも観客に善悪を考えさせる、
そういうスタイルを貫いたのでは無いか。

そう解釈するのであれば、というか勝手にそう解釈してみると、
この映画は非常の質の高い、
過去例を見ないスパイ映画であると言えるし、
「傑作」の部類に入る80点を与えてしかるべき映画だと結論づけた。


長くなったが、この映画でもう一つ非常に印象に残ったシーンがある。
それは、イーストのメンバーが遊びで行うゲームだ。














こんな風に皆で円形に座り、
順番に真ん中に置いたビンを回す。

そして、そのビンが止まった方向にいる人間に対し、
ビンを回した人間は、やりたいことをいう。

例えば「ハグさせて」とか。

つまりこのゲームは、日本でいう王様ゲームなのだが、
圧倒的に異なる部分がある。


それは王様の「命令」では無く、「自らの欲求」なのだ。

日本の王様ゲームは「1番が4番とキス」みたいに、
指名された人間は半ば強制的に、受動的に、
自分の意思とは関係が無く、王様の命令を受ける。

だが、このゲームでは、
王様が自らの意思を表明しなければならないのだ。
能動的なゲームなのだ。

「ハグしたい」「一緒に踊らせて」「キスさせて」などと・・・

実はこの作業って自分たちに置き換えてみると分かるけど、
なかなか気持ち悪いし、恥ずかしいし、カロリー高い。
って思うのは俺だけ?

つまりイーストにおいては、自分が思ったこと、
やりたいことをやる、言う、伝える、ってことが重要なんだ
ってことを表すゲームなんだろう。

そんな気持ち悪いゲームで、サラはイケメンカリスマリーダーに、
「キスさせて」って言うんだけど、
「ハグで良いかい?」って流されてしまう。

つまり、欲求を受け止める側にも、受動性というか、
日本における王様ゲーム的「強制」は存在せず、
自分の意思で王様の要求へのリアクションをとれるのだ。

人間とはこうあるべきだ!と見せつけるかのように
イーストたちは楽しげにこのゲームをやっているんだけど、
観ているこちらは気持ち悪くて仕方なかった。

そんな僕はまともなんでしょうか?
それとも・・・

2014年2月4日火曜日

映画『桐島、部活やめるってよ』85点



今更観賞。

これは日本映画史に残る名作でした。
DVD買ってしまった。
自分史的映画ベスト10に食い込む名作でした。

この映画が素晴らしいのは

●ニヒリズムに満ちた現代の高校生達を見事に描ききっている

●既存の青春映画を嘲笑うかのように
   心情描写の台詞を徹底的に排除し、
   登場人物の心理状況を観客に思考させる

●イケてる、イケてない、どちらでもない、これらの生徒を
   感情移入の誘導を用いずに「自然に」描いている

●高校生の如何ともしがたいニヒリズムを描きながら、
   それを打ち破る、前を向いて生きることを、
   陳腐な台詞=言葉ではなく、高校生達の「動き」で描いている

●つまりニヒリズムに満ちた現代の高校生達を描きながらも
   最終的にポジティブな映画として成立させている

⇒一切登場しない超リア充的象徴「桐島」を
   あくまでも「象徴的」に描くことで、
   以上の要素を完璧に映画内に還元仕切った


一個一個説明するのも我ながらめんどくさいので、
重要だと思うことだけ少し掘り下げて書いてみる。


従来の青春映画を嘲笑するかのように、と書いたが、
これはこの映画における特徴かつ、重要な評価ポイントだ。

この映画における高校生達は、
自分たちの気持ち=本音を安易に言葉にしない。


だってそりゃそうだ。
ドラマや映画の学園モノがどこか胡散臭いのは、
現実世界では絶対に言わないだろって言う台詞にある。

このアンチ商業主義映画的作りは、
全くテーマも物語も違うが、
先日観た問題作『オンリーゴッド(75点)』にも共通する。

つまり、「愛している」だとか「嫌い」だとか、
「感情を説明する」言葉なんて、
実生活では発すること何てほとんどないのだ。

そんなこの映画の根幹を示す、
個人的に最も好きなシーンがある。

そのシーンを説明するために少しだけ
登場人物をご紹介しよう。




この女子4人組。

帰宅部で「イケてる」風な左二人。

一番左のサナの彼氏はイケメンで全てに置いて万能な
今をときめく東出昌大演じるヒロキ。

ちなみにこのサナという女はとんでもなく嫌な奴で
誰もが嫌いになるくらいクソみたいな女。

逆に言えばそれは、松岡茉優が非常に上手く演じていると言うことだ。













そして左から二番目、
山本美月演じる校内のマドンナ・リサの彼氏は、
一度も劇中にはっきりと登場しない「桐島」だ。


つまり簡単に言えばこの二人は彼氏もいて、
見た目も可愛くて「イケてる」のだ。












そしてこの二人は、イケてるやつの特徴でもある
「一生懸命とかダサい」みたいなノリを何となく醸し出す。


その醸し出される雰囲気に何となく合わせているのが
橋本愛演じるカスミとミカだ。










この二人はバドミントン部に所属している。

帰宅部とバドミントン部。
この4人の人間関係を見事に表したシーンが冒頭にある。
僕はこのシーンがとても好きだ。

そのシーンは、
この4人組が廊下を歩きながら会話しているシーン。














帰宅部のサナがバド部のミカに言う。

「部活とかよくやってられるよね?」

するとミカは冷めた目でこう答える。

「いや、私は内申とかあるしさ…」


つまり、部活は内申を稼ぐためのもの、
別に一生懸命やってるわけじゃない、
私はあなたと一緒だよ、仲間だよ、

バド部のミカは帰宅部のサナの前で答えた一言で、
そういう目に見えない4人の意識みたいなモノが垣間見える。

で、良かったのがこの後のシーン。
帰宅部とバド部で別れ、部室前で二人きりになると、
ミカはカスミにごめんねと謝る。


私、バド本気で好きだから。
あの人達にマジなこと言ったってしょうがないし


この台詞が最高だった。


そう、「マジなこと」なんて言っても仕方がない。
僕らのコミュニケーションはそうやって成り立っている。



お前ら、本音でぶつかり合え!


金八やGTOはそう叫ぶかもしれない。
でもそんな学園生活は「フィクション」なのだ。


本当に本音でぶつかり合ったらどうなる?
そんなの成立するわけがない。


だから「マジなこと言ってもしょうがない」のだ。


映画前半のミカのこの一言で、

『桐島、部活やめるってよ』は、
既存の青春映画の常識を
ぶち破る映画であることを証明して見せた。


もちろんこれだけではない。
映画全編にわたって、このマインドは貫かれる。









































あまり書きすぎるとネタバレになってしまうが、
そのマインドの極地はやはりラストシーンだろう。


まだ観ていない方のために詳細は避けるが、

好きなことや目標や意味をもって学園生活を送るオタクが
一見全てを手にしているように「見える」万能型に、
無意識に打ち勝つラストは秀逸かつ辛辣だった。












ここでのヒロキの「涙」には泣けた。
野球部のキャプテンのフリがさらにきいていて、さらに泣けた。


でも僕が映画で初めてとも言って良い、
本当に泣いてしまったシーンはこれです。
















この男子バレー部越しに映るミカちゃんの
「行かなくて良いんだよ!」で思わず涙が溢れしまいました。











というわけで、この映画は全体的に素晴らしいですが、
個人的に最も刺さっているのは、ミカちゃんです。


もちろん神木くんの役者としての幅広さを
まざまざと見せつけた映画部のオタクっぷりにも
拍手を送りたいし、賞賛すべき点はたくさんある。

橋本愛は圧倒的に美形過ぎて、
逆にこんな高校生いねーよって思わなくもないけど。


とりあえず、観ていない方は是非観て下さい。
日本映画史に残る、
そして既存の青春映画の常識を打ち破る名作です。

エンディングテーマも切なく、映画にマッチしています。


2014年1月31日金曜日

映画『アメリカン・ハッスル』73点


2014年1月31日観賞。

天才詐欺師とFBI捜査官が手を組む前代未聞のオトリ捜査大作戦、
全米震撼の実話「アブスキャム事件」を映画化した今作。


監督は『世界にひとつのプレイブック(68点)』に続き、
2年連続アカデミー賞候補に挙がったデヴィッド・O・ラッセル

今年のアカデミー賞ノミネート数は何と10!

作品賞
監督賞:デヴィッド・O・ラッセル
主演男優賞:クリスチャン・ベイル
助演男優賞:ブラッドリー・クーパー
主演女優賞:エイミー・アダムス
助演女優賞:ジェニファー・ローレンス

といった主要部門のほか、

脚本賞、美術賞、衣装デザイン賞、編集賞の10部門。


必然的に観賞前のハードルは上がるわけだが、
流石に10部門ノミネートと言うだけあって、総じて面白かった。


この監督は、やはり脚本とか撮影技術とか云々の前に
役者の能力を最大限に引き出すという力に長けていると思う。


それはプレイブック同様に演技部門賞全てに出演俳優が
ノミネートしていることが証明している。


まず毛を抜いて20キロ増量して見事デブを演じきり、
あの「バットマン」と同一人物とは思えないクリスチャン・ベイル。














この人の役作りには毎回圧倒されるが、(下記画像参照)



















役作りだけでなく、その演技力も素晴らしく、
今回も決して幸せとは言えない、
常に何か満たされない天才詐欺師を完璧に演じきった。
















この何十分もかけてはげ上がった頭を隠すために
セットしたのに、ブラッドリー・クーパーに
一瞬で崩されて呆然とするシーンには笑った。

そんな具合でもちろんエイミー・アダムスも
ブラッドリー・クーパーも素晴らしかったが、

何よりも炸裂していたのは、
プレイブックで見事主演女優賞を勝ち取った
ジェニファー・ローレンスである。


















23歳とは思えない貫禄の演技力で、インパクト抜群。
私生活でもゴールデングローブ賞でエイミーアダムスが
主演女優賞を受賞したと分かった瞬間…
















こんな感じになる23歳なんだから、さらに魅力も増す。
褒めてばっかりいても仕方がないが、
ジェニファーロレンスという女優のパワーは凄まじいものがあり、
映画全体の尺で言うと登場回数はさほどないのだが、
観賞後のインパクトで言えばトップレベルに値する。

ここ数年は彼女中心でアカデミー賞は回っていくのではないかと
思わせるほど絶頂期を感じられるほどの迫力だった。

まぁというわけで、今回もローレンスは抜群だったし、
アカデミー賞演技部門全てにノミネートも納得の
俳優陣のクオリティーだった。


ただ点数が傑作である80点に届かない。


それは、前作の『世界にひとつのプレイブック』でも
アカデミー賞8部門にノミネートしながら、
ローレンスの主演女優賞のみにとどまったのと同じく、
今回も10部門ノミネートしているが、受賞は少ない気がするからだ。


なぜか?

もちろん面白かったし、もう一度観ればなお面白くなる類いの
綿密な脚本に見えるような作品なのだが、

同じく実話をベースにした昨年度のアカデミー作品賞を受賞した
アルゴ』と作品としての質感を比較したときに自ずと感じられる。












この作品はアカデミー賞に値する90点に届くかという秀作だ。
もちろん扱うモチーフは違うし、舞台の規模も違う。
単純に比較することは無意味だし、的外れかもしれない。

が、

あくまでも個人的見解ではあるが、
デヴィッド・O・ラッセルという監督は、
今作のような『世界にひとつのプレイブック』と比べれば
規模、扱う事象が大きく、かつ緊迫感が必要な物語を描くことよりも、
もっと小さなコミュニティーにおける人間関係を描いた方が
より質感の高い作品を完成させる監督なのではないかと思った。

何度も言うが、この作品は面白いのだが、
もっと緊張感と緊迫感で引っ張れるのではないか?
より面白く作れるのではないか?


だが、監督の狙いがそこではなく、
あくまでも事件の中で渦巻く人間関係や感情なのであれば、
この形がベストなのかもしれない。


素人の僕にもちろん正解は分かりませんが、
映画界に置いてどう評価されるかは
今月のアカデミー賞で全て分かるわけで。

でも個人的には、
主演女優賞は『ゼロ・グラビティ』のサンドラにあげたい。



2014年1月30日木曜日

映画『オンリー・ゴッド』75点


2014年1月26日観賞。

2011年のカンヌ国際映画賞監督賞を始め、
各国のあらゆる映画賞を総なめにした『ドライヴ』の
ニコラス・ウィンディング・レフン監督の最新作。


『ドライヴ』は個人的にとても好きな作品で、
80点くらいには値する作品だが、
このニコラス・ウィンディング・レフンという監督は、
とてもやっかいでクセの強い監督である。

ドライヴ』における主演のライアン・ゴズリングは
近年のハリウッドというか、
映画界全体の潮流に逆流するかのように
ほとんど台詞がなく、その表情のみで終始観客を引き込ませる。











「愛してる」だとか「殺すぞ」だとか、
そんな感情を「説明する」台詞がとても陳腐に思えてくるくらいに
ゴズリングの表情、目の動き、体の動きで全ての感情を伝えるという
彼の演技力を極限までに生かす手法をとっていたのが
とても印象的な作品に仕上げていた。
そしてさらにそれらを引き立てる絶妙な音楽と美しい色使い。


さらにその暴力描写には一切の妥協がなく、
ドライヴ』における主演のライアン・ゴズリングが
追っ手のマフィアの頭蓋骨を足で踏み殺すシーンは














映画館で思わず目を背けたくなるほど残虐で、
頭蓋骨が砕ける音まで聞こえてくる圧倒的リアリティーだった。

『ドライヴ』の話ばかりになってしまったが、
そんな二人がまたもタッグを組んだ新作。

さらにR-15となれば、必然的にある程度の残虐性は
覚悟の上、身構えての観賞になる。


そしてそんな期待を見事に裏切らない、レフン×ゴズリングコンビ。
『ドライブ』以上の衝撃とアンチハリウッドの映画に仕上げてきた。
カンヌで賛否両論の嵐も納得できる問題作。






















ストーリーは決して子難しいところはなく、
兄を殺された弟(ゴズリング)の復讐劇である。

これだけ聞けば、
「ゴズリングの壮絶な復讐ショーが始まるんだろう」くらいに
身構えて、「最終的には全員ぶっ殺すんだろうな」何て言う
想定で観賞をスタートさせる観客が大半を占めるだろう。
僕もその一人だった。


だがどうだ。

この映画は終始観客全員置いてけぼり。
この映画に置いて行かれない客の方がイカれてる!
って思いたいほどに置いて行かれる。


まず、登場人物もれなく全ての人間が
人格破綻していて、全く持って感情移入できない。


殺された兄貴も殺されて当然なのだ。
なにせ少女をレイプして殺しちゃうんだから。
そしてその少女の父親に復讐で殺される。
そりゃ殺されるだろうって。

で、その父親に復讐の機会を与えたのが
この映画の「ゴッド」とも言える悪徳タイ人警官。
















こいつがマジで笑えるほど強い。
圧倒的に強い。
「神」がかかり的に強い。
特に笑えるのが佐々木小次郎顔負けの
背中から日本刀を抜いての一太刀!!
















背中から抜くときに、ウソでしょってくらい
「シャキーン!」って効果音が鳴るし、
ウソで背負ってくらいに切れ味抜群。


そんな「神」に復讐を仕掛けるゴズリング
という構図の映画なんだけど、
ゴズリングやゴズリングの母親が送り込んだ刺客も
ことごとくこいつに惨殺される。
R-15も納得というそれはもう「あ~痛い!」って殺され方。

そしてもう一つ笑って良いシーンではないと思うが、
この神悪徳警官は人を容赦なく殺すのだが、
殺した後に必ずカラオケパブみたいなところで
現地語でカラオケを熱唱する。













とにかく無表情で歌う。
それを無表情で見守る悪徳警官の部下達。













最初は何のこっちゃわからなくて、
とりあえずどういう気持ちで見れば良いの?みたいな
置いてけぼり感を食らわされていたんだけど、
必ず人を殺すたびに歌っているので、
禊ぎ?清め?そういう意味で歌ってるのかなとか
勝手に思いつつ、そうかやはりこいつは神なのか?
とか勝手に考えたりしながら見てみたりしたが、
やっぱり正直意味は分からない。


そしてさらに相変わらずというか、
ドライヴ以上に台詞が排除されているから
構成とか展開みたいなものを観客に感じさせず、
唐突とも思える場面転換と、恐ろしいくらいに冗長な1ショットの画で
展開とも言えない転換をこの映画は続ける。

ゴズリングの台詞は恐らく10言くらいしかないんじゃない?
ってくらいゴズリングはしゃべらない。













しゃべらないながらも、ドライヴ顔負けの狂気じみた暴力で
順調に復讐を達成していくゴズリング。
おっ、こりゃ悪徳タイ人警官も倒せるぞ!
なんて少しばかり期待した僕がバカでしたレフン監督。

「俺とやるか?」

と、強気で喧嘩をふっかけたゴズリング。














こんな風にいっちょ前のファイティングポーズをとって、いざ!
















だけど、恐ろしいほどに神は神がかり的に強く…



















ボコボコにやられるゴズリング。
とにかく圧倒的に弱い。
弱いというか警官が強い。

ストーリー主義の脚本に唾を吐きかける
神にあらがうことは出来ないのだ!という
レフンの神髄発揮と言ったところか。


もはやネタバレにもなっている気がするが、
この映画ネタバレもクソもない。
ネタとかバレるとか、そういったストーリー展開みたいな
「映画」の定石を無視した映画であるから。

そして、この映画における、
もう一つの「神」を忘れてはいけない。
それは恐らくゴズリングの「母」である。













この母ちゃんがまたインパクト抜群で、登場早々に
チェックイン時間まで入れませんと言った
ホテルの受付のお姉ちゃんに、
クソ女!とか急に切れる始末。
ここにもさらに一人人格破綻者が現れてしまった…


超破天荒で容赦なく暴力をふるうようなゴズリングも
母親の前では小鳥のように大人しく従順に成り下がる。


ここにも神とそれに抗えない者の構図が見える。
その母親は長男を殺され、もちろん激怒!
ゴズリングに復讐を命じたり、ギャングみたいなガラ悪い奴らに
悪徳警官を襲わせたり、悪徳警官の家族を皆殺しにしようとしたり、
とにかく恐ろしさの本領を発揮し始める。

そしてそんなゴズリングにとっての神と神が対峙した結果…













これ以上書くと本当に全てを書いてしまうことになるので、
「ネタバレなんか存在しないぜ、この映画は!」
とか大手をふるったものの、先入観無しに見て欲しい映画…
という気持ちも少しあるのでこの辺にしておく。

とにもかくにも、レフン監督は今作で、
「現代におけるハリウッド的映画を徹底的に破壊し尽くした」気がする。
ドライヴはある程度の商業的性向も見込んだ上での
自身の主義主張神髄を盛り込んでいたが、今回はそういった
良い意味での妥協が一切見当たらない。
そりゃ観客置いてけぼりになるわ!


というわけで、
ここまでで唯一の「採点不能」とした『ザ・マスター』並に
採点不能感漂う映画ではあるが、
ザ・マスターよりは監督の意図を
何となく自分なりに解釈出来た気がしないでもないので、
この点数にしてみた。

だが、万人に勧める75点ではない。
気楽にハリウッド娯楽映画を観たい人は決して観てはいけない。
バルト9から下るエスカレーターが憂鬱で仕方なくなるだろうから。

2014年1月12日日曜日

映画『鑑定士と顔のない依頼人』72点


2013年1月12日観賞。

TOHOシネマズ日比谷シャンテで見たが、
日中の上映回は完売になるほどの入りを見せていた。


確かに面白いとは思うが、
個人的にはそれほど…
というか斬新性の無い作品だなと言う率直な感想。


まず鑑賞後、率直に思ったのは、


今映画界ではこの手の作品が流行ってるんですか?


これから書くことは少しネタバレに近い内容になるので
嫌な人は読まないで頂きたい。



話を戻すと、「この手の映画」というのは、
「悪い女が男をはめてはめてはめ倒すシリーズ」だ。


最近だとこのブログにも書いてきた
サイドエフェクト』や『トランス』がそのシリーズだ。

2作とも高得点を獲得した秀作ではあるが、
『鑑定士と顔のない依頼人』が
2作を下回るのには当然理由がある。


サイドエフェクトとトランスには、
とてつもなく恐ろしいほど悪い女が男達を
翻弄する様が描かれているが、
「女は怖いよね!!」という表テーマを支える
明確な主張を持ったテーマがあった。

それはブログにも書いたが、

サイドエフェクトの場合は、

「サイドエフェクト」=「副作用」に込めた
アメリカ社会における精神科医に対する強烈な皮肉
※2013年9月12日の記事 映画『サイドエフェクト』77点より引用


トランスの場合は、
「催眠療法」への警鐘であった。


だが、この映画には「女は怖いぜホントに!」という
表だったテーマに隠れた主張に近い軸が見られない。

ただただ女は怖い!
そしてそんな女に騙された男かわいそう!
ボロボロ!もう抜け殻!救いようがない!
とにかく徹底的に救いようがない!のだ。


確かに映像、美術、音楽の美しさ、
独特のカメラアングルなど褒めるべき点はある。





























ただそれらを昇華させさらに物語を、
映画全体を強固なものにする「主張」めいたものが
個人的には見えてこなかった。

なにかよさげな雰囲気は終始漂っているのだが
脚本のひねりがもう一つ足りない。

というわけで、決してつまらない映画では無いが、
72点止まりという結果となった。


映画『キャプテン・フィリップス』82点


2013年1月7日観賞。


ボーン・スプレマシー』、『ボーン・アルティメイタム』など
ボーンシリーズを手がけたポール・グリーングラスの新作。

ボーンシリーズのヒットの影響で、
最近はアクションのイメージが強いグリーングラス。

しかし同時多発テロでハイジャックされたユナイテッド航空93便
機内をいたユナイテッド93』など、
シリアスな映画も得意な彼が今回手がけたのは、
2009年に発生したマースク・アラバマ号」乗っ取り事件で、
ソマリア海賊の人質となったリチャード・フィリップスを描く
伝記をベースにした映画。


彼の作品を全て見てきたわけではないが、
基本的に彼の映画に「ハズレ」のイメージは無く、
今作もWikiを覗いてみるとあまたの賞にノミネートしており、
わりとハードルを上げて観賞スタート。


しかしそんなハードルもしっかり超えてくれたグリーングラス。


130分を超える本編は、序盤からスピード感を失うこと無く、
アメリカの巨大貿易船がソマリア人わずか4人の海賊に
あっという間に占拠されてしまう様子が緊張感と恐怖と共に描かれる。















死人は一人も出ないにもかかわらず、
観賞者側はトムハンクス演じるフィリップス船長と
同じ状況に追い込まれ、目に見えて脅威として接近する
ソマリア人海賊達におののき、為す術無く絶望する。


この映画の緊張感を引き立てているのは、
グリーングラスが世界中からオーディションで選び抜いた
ソマリア海賊役の俳優達のリアリティーだ。














今作が映画デビューというほぼ素人も入り交じる中、
逆にその素人感が演技を超えた狂気のソマリア海賊を
引き立てていて、終始「こいつら何をするかわからん!」という
狂気のオーラを帯びていてドキドキさせられた。


特に海賊のリーダー・ムセ役を演じた
ソマリア生まれのバーカッド・アブディは、
















今作が俳優デビュー作とは思えない圧巻の演技力。
片言にも聞こえる英語の発音も、痩せこけた顔も、
その全てがソマリア人海賊にしか見えない要素となり、
「金のためなら人を殺すこともいとわない」という
情け容赦ない海賊を見事に演じきった。


そして何と言ってもトムハンクス。
彼の演技力を疑うものはいないとは思うが、
特にラスト10分の演技(ほぼアドリブらしい)は、












まさに「迫真」という言葉が当てはまる、
いや、むしろ彼の生涯ベストとも言える迫力だった。


そんな素晴らしい俳優陣が
この映画を支えていることは間違いの無い事実であるが、
さらにこの映画を秀作たらしめているのは、

この映画が決して
「エンタメアクション海賊退治映画」ではないという点だ。

さらにそれでいてグリーングラスの持ち味でもある
短いカットの積み重ねによるスリリングな映像演出を捨てること無く、
徹底して冷静に史実に近い形でソマリア海賊を描いた
サスペンス的リアリズム映画に仕上がっているという点である。


「海上で何が起きたのか」に焦点を当てたかった
と、グリーングラスが意図したとおりに、
黄金伝説の無人島生活顔負け船酔い必至の
揺れて揺れて揺れまくる長時間の船上シーンや、
















本物の元SEALs隊員(陸海空の最強エキスパート軍団)を
採用したことが何回頷いても足りない納得感を得られる
ラストのアメリカ海軍強すぎワロタ銃撃シーン。














このシーンはマジで強すぎるSEALSに恐怖すら感じた。

そして余談ではあるが、
ソマリア海賊がアメリカ海軍を見たとたんに
テンパり始め、開口一番に放った言葉が

「俺たちはアルカイダじゃない」

だったことは、アメリカ人はどう捉えるのかを知りたくなった。


そんなこんなで褒めるべき要素が多々あることから
裏付けされるように、2時間ちょいの上映時間を感じさせない
緊張感を保ち続ける素晴らしい秀作映画だった。


2014年1月4日土曜日

映画『セレステ∞ジェシー』67点


正月休みにDVDで観賞。

知人から『500日のサマー』が好きなら是非観て下さい
と言われてTSUTAYAで借りてきた。


まず、公式HPにはこんな文句が書かれている。


全米の女性から圧倒的な共感を呼び、
わずか4館の限定公開から586館までの拡大公開を成し遂げた、
新たなるラブストーリーの傑作!!


早くも若干の胡散臭さを感じるキャッチに戸惑いながら、
観賞をスタートしてみる。


なるほど確かに、
500日のサマー』が男目線で描いた恋愛映画ならば、

この映画は始まりから終わりまで女目線で描かれいる。

粗筋はこうだ。

学生時代に恋に落ち、そのまま結婚したセレステとジェシーは、
誰もがうらやむ理想的なカップルだった。
しかし、セレステの提案で「永遠に親友でいられるように」と30歳を機に離婚する。
離婚後も隣同士の家で毎日顔をあわせ、親友関係を満喫していた2人だったが、
ある出来事がきっかけで毎日会うことができなくなってしまう。
そうなって初めて、セレステはジェシーの存在の大きさに気がつくが……。


主人公のセレステはバリバリのキャリアウーマンで、
絵描きであるがイマイチパットしない草食系ジェシーを
可愛がりながらも男として、いち人間として若干下に見ている。

直接的に言葉ではそんな感情は描かれていないが、
彼らの関係性(日常会話など)からその位置関係はすぐにわかる。













この二人、離婚が決まっているのにとにかく仲が良い。
あり得ないくらいに仲が良い。













あんたたち離婚するよ!?
そんなに仲良くして頭おかしいじゃない!?


みたいなことを親友に言われる始末。


そう言われた二人は、


なぜ?僕らは別れても親友だからだよ。
嫌いになっているわけじゃないしね。














みたいなことを平然と言ってのける。


だが、映画とはいえ、こんな関係は絶対にあり得なくて、
これ程までに仲が良い場合の男女は、ほとんどの確率で
男女のどちらかが「我慢」していて、
多少なりともの「恋愛感情」が存在している。


この場合は男側(ジェシー)に、その感情が見て取れる。
だから、女側(セレステ)には感情的に余裕がある。

その感情的余裕をさらに余裕たらしめているのが
先述したセレステのジェシーに対する優位性だ。


だが、この関係性はいとも簡単に崩壊してしまう。
ある日、酒の力で二人は夜を共にしてしまうのだ。











翌朝、ジェシーはやはり単純バカな男なわけで嬉しそうに
愛し合ったことを確認するが、
酒が抜けてしまえば優位性の皮を被ったままのセレステは
「過ちだった」の一点張りでジェシーを神目線で拒否。


そしてそれに切れたジェシーは、やはりここも単純バカな男で
出て行ってしまい、音信不通。


男というのはこんなふうに「うまくいった」と思った性を否定されると
自分全否定されたぜ!最悪だぜ!みたいになって
一気に感情が冷めてしまうという性質が無くも無い。


そして優位性を保っていたはずが、
突き放される立場になり、急激に焦り始めるセレステ。


これ以上詳細書くとネタバレになるので避けるが、
ここからはものすごいスピードで男女の関係性が一変する。


上から目線で、どこかジェシーを見下していた
自分の傲慢さを後悔し始めるセレステ。

だが時既に遅し!

みたいな話なんだが、どうも500日のサマー』ほどの爽快感がない。


それはなぜなのか?


決して悪い映画だとは思わないのだが、
そもそも論でいえば、全体に渡って
自分の経験をもとに脚本&主演ってのがやはりどうもきな臭くて、

男に対して上から目線で草食系男子に立場逆転された私…

あの時ちゃんと謝ってれば…
彼をバカにせずに正面から向き合ってれば…

みたいな反省してるふりして、

「その反省してる私ステキ」感が拭えないのだ。


反省してる自分すらキラキラ女子に仕立てあげて
結果的に再び男を見下してない?

って思ってしまう僕はひねくれクソ野郎でしょうか。

この映画を大絶賛する女の子に出会ったら
少し警戒感を持つと決めた僕はひねくれクソ野郎でしょうか。



まぁトータルの感想はそんな感じで、
そういう意味で『ブルーバレンタイン』の方が
よりリアルに、かつ男女の目線をフラットに描けている点で好きです。


さらに言えば、
女子の支持率が圧倒的な映画ってあるけど、

この映画絶賛する女子は、
主人公のような負け方をしたことがあると捉えてよろしいでしょうか?