注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2013年9月12日木曜日

映画『サイド・エフェクト』77点



幸福な生活を送っていたエミリーは、夫がインサイダー取引で収監されたことをきっかけに、
かつて患ったうつ病が再発。精神科医のバンクスが処方した新薬により、うつ症状は改善されたものの
副作用で夢遊病を発症し、やがて無意識状態のまま殺人を犯してしまう。
主治医としての責任を問われ、社会的信頼を失ったバンクスは、
エミリーに処方した新薬について独自に調査を開始。やがて衝撃的な真実にたどりつく。
(By 映画.com)


2013年9月8日鑑賞。



「鬼才」といわれたソダーバーグ監督の引退作。
引退にふさわしいコンパクトで美しくまとまったサスペンス映画だった。


まず引退作を彩る豪華俳優陣達。
中でも『ドラゴンタトゥーの女』では、徹底的な役作りで
圧巻の演技力を見せつけたルーニー・マーラ














その実力は今作でも遺憾なく発揮されていて、
いや、むしろ彼女の存在感無しにはこの映画は成立し得ないと
言えるほど、物語的にも彼女は鍵を握る存在である。


ソダーバーグ監督といえば、自らカメラを回すことも珍しくない
といわれるほど、その映像へのこだわりには定評のある監督である。

















さらに、アカデミー賞に輝いた『トラフィック』で見せた完璧な脚本、編集。
この技術は知る人ぞ知る『オーシャンズ』シリーズでも垣間見えるわけだ。


そんな彼の圧倒的な才能を、
これでもかというくらいに凝縮した作品であることは間違いないのだが、
鑑賞後に言葉にならない微小な違和感を感じた。


それは何かというと…

なるほど確かに美しく綿密に練られた脚本、
随所で監督のこだわりを垣間見れる、引退作にも関わらず
未だなお挑戦する姿勢を感じられる編集技術、
そしてそれを支える豪華俳優陣の濃厚な演技力…
















一見欠点の見えない「完璧」な作品なのだが…


そう、そこだ。


この映画は、あまりにも「完璧」すぎるのだ。


ネタバレになってしまうので詳細は避けるが、
この映画は終盤に大きなどんでん返しが起きる。


そのどんでん返しが起きてから、物語上ではどんでん返しの経緯、
理由などが少しずつ紐解かれていくのだが、


※余談だが、この「どんでん返し」はエドワード・ノートンのデビュー作
 『真実の行方』に見えてしまったといえば分かる人は分かる


その紐解き方が映画における「セオリー」みたいなものには当てはまらない
(私見ではそう感じた。映画通からすればそうでもないのかも…)
演出方法がとられているのだ。


その演出方法とは、簡単にいえば、「全て説明する」だ。


こういうサスペンス系の映画かつ鬼才と呼ばれる監督の映画って、
たいていがどんでん返しやトリックが見えてきたら、
その余韻みたいなもので映画を引っ張って、
あとは観賞者側の想像力や解釈に委ねるよ!的な映画が多い。


だが、この『サイド・エフェクト』は、そうは行かない。
どんでん返しが起きて、余韻に浸り始めて、

「あーなるほどね、あれがこうであそこがこうだから…」

みたいに整理し始めようとしたところで、
ソダーバーグは登場人物を使ってその謎を丁寧に解説させる。

それはまるで交通誘導員のごとく丁寧にゆっくり説明してくれる。
ここが評価の分かれ目のような気がするが、
思い出してみると、鬼才ソーダ-バーグは、『トラフィック』でも
観賞者側が混乱するような複雑な3つに分かれた群像劇を
映像化するに当たって、その3つの場面それぞれの映像に
異なる「色」をつけ、視覚的に明確に鑑賞者が理解できるシステムを導入した。

「鬼才」は、その名に一見ふさわしくない
「観賞者に優しい映画作り」をする監督でもあったのだ。


そう考えれば彼の幕引きにこの手法を一番しっくりはめやすい
サスペンスミステリーを持ってきたことに合点がいく。


そんな「説明しすぎ」映画だが、
冒頭に書いたようにサスペンス映画としては一級品の
綿密に練られた脚本と、冒頭から終わりまで緊張感を保ち続け、
鑑賞者を釘付けにする映画であることは間違いない。


その証拠に「ある殺人シーン」では、
映画館全体から「ヒッ!」という女性達の悲鳴が聞こえたほど。
こんな事映画観ていて初めてだったが、
「ヒッ!」とまではいかないが、確かに僕も驚かされた。




脚本と編集ばかりほめているが、
タイトルである「サイドエフェクト」=「副作用」に込めた
アメリカ社会における精神科医に対する強烈な皮肉は、
この映画の「どんでん返し」にこそ深々と刻まれている。


2013年9月10日火曜日

映画『ゴッド・ブレス・アメリカ』70点




キックアスよりブラックで過激。
リストラやら不治の病やらで自殺寸前の見るからにさえないおっさんと、














平凡で退屈な日常に嫌気がさしていた女子高生が













ひょんな事で意気投合し、世の中のむかつく奴らを
徹底的に射殺して回るという痛快カルトコメディ。

その対象は恐らくアメリカ人にとっては「あるある」の連続で、
日本でいう「一見リア充」、「糞セレブ女子高生」、
映画館で上映中にしゃべってるやつ、列に割り込むやつ、
中には人類普遍で虫ずが走るような、
「むかつく社会のゴミ」を片っ端から痛快に殺していく。













その動機はさえない主人公のおっさんが、

元妻と娘が自分から完全に離れて言ったうえ、
誤解からセクハラで解雇され、
さらに医師からは脳腫瘍で余命が短いと宣告された。
拳銃自殺をしようかと考えていたフランクだったが、
わがままな少女クロエが出演するリアリティ番組を目にした途端考えを変え、
隣人の車を盗んで番組の撮影現場へ向かい、
クロエを手錠で拘束したうえで射殺した。
(Wikipediaより引用)


こんな感じで全ての不謹慎殺人ショーが始まる。
似たようなコンセプトで大ヒットした『キックアス」と大きく異なるのが、
実際に人を殺したことが無い本当に平凡なおっさんと女子高生が、
同じく何も特殊能力が無い
「普通(といってもウザめ)の市民」を「殺しまくる」ということだ。

「キックアス」で人を殺すのは、結局極悪非道なマフィアもどきたちと、
圧倒的な戦闘能力を秘めたヒットガールである。













その「キックアス」の面白さは結局、ハリウッドというか
エンタメの常套手段である「勧善懲悪」にある。

「実際にスーパーヒーローが現実にいたら…それは許されるのか?」

という、バッドマンシリーズでノーランが挑んだテーマ、
ハリウッドで流行るそのテーマに乗っかっているように見せて、
実際はヒットガールの「超人」的な強さで悪を圧倒するという
(少女が銃やナイフで人を次々に殺すという不道徳な逆説的爽快感もあるが)
ベタな「勧善懲悪」に観賞者側は興奮し、さらにその「勧善懲悪」を果たすのが、
小学生位にしか見えない少女=ヒットガールであることが新しかったわけだ。

しかし、似たような話に思えるゴッドブレスアメリカには、
キックアスにあるような「爽快感」がいまいち感じられない。

それはなぜか?

その理由は前にも書いたが、

実際に人を殺したことが無い本当に平凡なおっさんと女子高生が、
同じく何も特殊能力が無い「普通の市民」を「殺しまくる」からだ。











殺されるのは、映画館でしゃべりまくる奴、長蛇の列に堂々と割り込む奴、
差別発言を繰り返すテレビコメンテーター、障害者をネタにして笑うテレビ番組…

たしかに腹が立つ、罰せられるべき人間たちかもしれないが、
いざ主人公達が銃口を向け、あっさり彼らを射殺しているのを見ると、
そこに爽快、痛快さは無いのだ。
そこにあるのは、なんだか分からないモヤモヤした不条理感だ。

それどころか、「なにも殺さなくても…」なんていう、
「24」のジャックバウワーが何の躊躇も無くテロリスト達を射殺する














際には全く抱くことが無い、道徳的感情を抱いてしまうのだ。
その感情が指し示すのは、

「実際にスーパーヒーローが現実にいたら…それは許されるのか?」

という問いに対しての解答では無いか?

もちろん答えは「No」だ。
実際にバッドマンやらが行う正義の味方的な「度」を超えた自警行為は
バッドマンだから許されるわけで、街に溢れる我々市民の一員が
いきなり正義感を背負い、勝手に人を成敗し始めたらそれはやはり許されない。

そんな冷静に考えれば当たり前のことをこの映画は教えてくれる。
監督の意図がそんなところにあるのかはさておき、
僕は見ていてそんな感想を不快感と共に感じた映画だった。


ゴッド・ブレス・アメリカ DVD

2013年9月6日金曜日

映画『マン・オブ・スティール』65点


2013年9月1日鑑賞。

スーパーマンシリーズは一度も見たことが無いけど、
『ウォッチメン』のザック・スナイダーと、
ノーランが組んだのだから面白くないはずが無い、ということで鑑賞。


何よりもまず、そもそもスーパーマンの設定に驚いた。
スーパーマンってこんな宇宙人的な話なんだって。

どこか我らの青春漫画の大傑作『ドラゴンボール』における
サイヤ人的な発想に近い懐かしさを感じるクリプトン人。


そして、体から破壊光線を出したり、













とんでもないスピードで自由自在に空を飛んだり、











誰もが少年時代に夢見たことを、スーパーマンは実現してくれている。


この「男のロマン」的な観点で言えば、先日鑑賞した『パシフィック・リム』は、
非常に満足感の高い映画であったが、
そこで感じた「もっとバトルシーンを!」という少なからぬ不足感を
大いに補うに足る戦闘シーンがこの映画には盛り込まれている。


というか、むしろ、逆に、お腹いっぱいだよ!もういいよ!


というレベルで、


お前、もはや地球救ってないよ!
お前の星で解決すべき痴話げんかのせいでマンハッタンぼろぼろだよ!


というように、『パシフィック・リム』で感じたような、
糞カイジュウを倒すカタルシス的快感は、
映画後半からバトルシーンの満腹感で少しずつ相殺されていく。


スーパーマンファンにとっては当たり前なのであろう
ビル3つ分くらい貫通するレベルの衝撃でぶっ飛ばされても
傷一つ出来ないスーパーマンのスーパーな肉体!
もやは孫悟空以上の強さ!


そんな異常とも言える強さは、
悪い奴らと闘っているのを観ていて、最初はよし頑張れ!なんて
応援目線で観ていたが、徐々にその強さが逆に感情移入を削ぐ
強すぎる強さに変わり始めてしまう。


そんな風に感情移入を削がれ続けた結果、


あれ?こいつって確か今後バッドマンとの共演決まってるんだよな?
いや、全く強さの次元違うでしょ。
バットマンってほぼ生身の人間だよ?
スーパーマンが闘うレベルの敵とか出てきたら瞬殺でしょ。
ヤムチャが魔神ブウに挑む的な圧倒的な無謀感しかないでしょ。
それって映画として成立しなく無い?


みたいな、バッドマン配役決定早々に叩かれまくるベンアフレック先輩を
さらに案じてしまうという、もはや本筋には一切関係ない想像が
鑑賞中に駆け巡るという始末。


それに拍車をかけてしまっているのが、
スーパーマンがなぜ地球人を選んだのか、
なぜ人間愛溢れる超人になり得たのか、
そこがわからないから、ただマンハッタンぶっ壊しまくって
結果人間何人死んでるの?みたいなことが気になってしまう。
彼が闘うことに感情移入できない。
『パシフィック・リム』の時のように「カイジュウをやっちまえ!」という
少年時代を思い出し手に汗握ることは全く出来ない。


ケビンコスナーという超一流俳優をお父さん役に選びながら、
















その親子愛、家族愛を今ひとつ深遠に描き切れていない、
なぜ地球人のケビンコスナーは、
サイヤ人的な宇宙船で降り注いだ主人公を育て上げたのか。
そこにどんな苦労があったのか。
その苦労故にスーパーマンは地球を守る決心をしたのか。

ここらへんが壮絶超絶CGバトルシーンに割いた尺の差し引きで
ごっそり描かれていないこと、それがこの映画のもう一歩感を創出している。


でもこの映画におけるCG技術、戦闘シーンの迫力は尋常では無い。
それだけでも観る価値があるといっても過言ではない。
でも逆に言えばそれだけの映画かもしれない。

2013年8月31日土曜日

映画『DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?』採点無し


当たり前だが、この映画はAKBに「ある程度」興味が無いと、
見続ける意味は無いし、見続けることは出来ない映画だ。

今作で3作目となるAKBのドキュメンタリー映画だが、

最もスキャンダルが多発した時期の映画がこれ。


次々と恋愛スキャンダルが発覚し、

「握手会」という本来はファンからの声援を
最も近い距離で感じられるイベントで、
謝罪会見を強いられるという、
逆説を極めた光景を見せつけられるわけだが、
そこに映る映像は、圧倒的に「非情」で、「悲惨」だ。

中でも最も印象的だったのは、脱退するあるメンバーが、

無言で見つめるファンを前に、
泣きながら謝罪しているのを見つめるAKBメンバー。

その中の一人に指原氏がいるのだが、

指原氏は「もうダメだ、見てらんないわ」と、
まさに「公開処刑」という名にふさわしい、
その残酷な光景に耐えられず、その場をあとにする。

そんな「もう見ていられない」指原氏は、

その後、自らのスキャンダルが発覚し、
博多へと異動するわけで。

そしてその後、

圧倒的に自分よりも若いメンバーに囲まれ、苦しみながらも、
徐々にその立場を確立していく様子が描かれている。

しかし、この映画を観ていて単純に思えるのは、


「10代の少女達が、

 そこまでして恋愛禁止という呪縛にとらわれながら、
 頑張るモチベーションはどこにあるのか?」

ということだ。

始まりから終わりまで、
この映画を観ながらその疑問が浮かんで離れることは無かった。

もちろん、「公開処刑」を経て、

その呪縛から解き放たれること無く、
AKBを去る子達もたくさんいる。

それは「逃げ」なのだろうか?

「ファンに対する裏切り行為」なのだろうか?


いや、あの残酷な様子を映像で観たら、

むしろ辞めていった、
逃げ出してしまった子達の方がまともに見えてくる。

圧倒的な公開処刑に合いながらも、

公開処刑に合うリスクを常に持ち合わせていながらも、
彼女たちがAKBにこだわる理由は何だろうか?

それが今作のタイトルにもなっている

「少女たちは涙の後に何を見る?」というテーマであり、
その答えは映画の終盤に構成されている、
松井珠理奈の密着にあるように見える。

 11歳でセンターに抜擢された松井珠理奈は 、

「一見」迷いの全くない、
強い意志がみなぎった笑顔でこう言い放つ。

















「恋愛はいつでも出来るけど、AKBは今しか出来ない」 
さすが珠理奈!と、立ち上がりたいところだが、
果たしてどうだろうか。

時代は違えど
、一時代を築いたアイドルの大先輩であ
る松浦亜弥は先日結婚したが、
そこで彼女はこんなコメントを発表した。

「私の青春には、すべて彼がいます」


このコメントは「アイドルとして」許されざるものなはずなのに、
その逆説性がより美しさを増すという不思議なものだ。

対照的な「アイドル」2人のコメント。

ここから見えるものは何だろうか。

「正しい」のはどちらなのか?


そこに、正解なんてものは無く、
至極一般論的なことを言ってしまえば、


「選択するのは彼女たち自身。自己責任」


なのかもしれない。


だが、10代そこそこの女の子達に、
人生において重要すぎる「青春」を取捨選択させるシステムは、
やはりどう考えても残酷の極地だ。

そんな残酷さを散々見せつけられた挙げ句、
最終的に、「一見」AKBを肯定的に捕らえて前を向く
松井珠理奈で終えているこの映画は、
最高のAKBプロパガンダ映画なのかもしれない。


だけど、そんな象徴とも言える松井珠理奈は、
体調不良で入退院を繰り返し、
最近では痩せこけた姿をテレビで見せている。



まるで「恋愛はいつでも出来るけど、AKBは今しか出来ない」と、

自らに言い聞かせ、鞭を打ち、
奮い立たせているかのように悲壮な笑顔で。


2013年8月30日金曜日

映画『スター・トレック イントゥ・ダークネス』60点


2013年8月30日鑑賞。

TOHOシネマズ六本木で3D鑑賞。



まず失敗だったのが、前作の『スター・トレック』を事前に復習しなかったこと。
2年前くらいにDVDで観たんだけど、ほとんどストーリーは覚えていないし、
主人公の仲間にドラマHEROESで敵役だった人が出てるなくらいの印象。

















その程度で鑑賞に臨んだものだから、序盤30分くらいまで
映画の世界観に全く入り込めず。

こういうシリーズリメイク、かつSFものって、
まずその世界観が好きであることの必要最低条件である気がする。

ってことで「スタトレ」と略すことにすら抵抗がある僕は、
終始どこにも感情移入できず、のめり込めず、
「あ~CGすごいな」みたいなクソみたいな感想しか得られず鑑賞を終えた。


そもそも、スタトレ好きじゃないやつが観るな!
みたいな映画なのかもしれないが、そこはちょっと待った。
一個人のしがないブログなのであるわけだから勝手に批評してみよう。


まず、監督のJ・J・エイブラムスという男はその天才的想像力が故に、














「自分の発想がドラマや映画のキャパを超えてしまう」


という、その才能を生かし切れないとても悪い癖があるように思う。


全て彼の作品を観たわけでは無いので、断定してしまうのは危険かもしれないが、
その代表例として上げられるのが、テレビドラマの『LOST』・『FRINGE』だ。

全てのシーズンを鑑賞したが、
間違いなくこの2作のベストパフォーマンスはシーズン1だ。


LOSTに至ってはシーズン6まであるくせに、
エイブライムスが仕込もうとした謎が謎を呼びすぎて、
最終的に全く回収しきれずに終わるという何とも消化不良な結末だ。

シーズン1の半分くらいまでは抜群に面白い。
その設定、脚本、謎が謎を呼ぶ展開、
これらは「24中毒」並みの中毒性を引き起こすものであったが、
エイブライムスの天才的発想力のせいか、
あまりにも多くの謎や仕掛けを作りすぎて、
途中からもはや何が謎で何が解決できているか分からなくなる始末。














(議論を呼んだLOSTのラストシーン。僕は理解不能でした。)




視聴者は謎かけさせられすぎて、整理できないまま観るから、
もはや何シーズンもまたいで登場するメインキャスト達の「生死」にしか
スリルを味わえなくなっていく。


FRINGEはその悪い癖がさらに早い段階から現れてしまい、
1話完結というLOSTにはないスタイリッシュなパッケージ感が
とても良かったのに、シーズン1終盤で、
「あっちの世界、こっちの世界」みたいな急激なオカルトSF感満載になり、
LOST顔負けの行ったり来たりごっこが始まってしまう。


きっと彼は自分の想像力が豊かすぎるが故に、
下手したら秒単位でやりたいことが浮かんできてしまって、
そのスピードや発想力にドラマ尺、映画尺がついていけないのではないか。


そんな勝手な個人的危惧は今回のスタトレでも思う存分に発揮されていて、
絶望的なほどに強かった今回の敵役(話題のカンバ-バッチが演じた)は、

















これからが本当の実力発揮なんだろうなと思わせた
地球上陸したとたんに驚くほど弱体化してしまい、
負けるはずが無かった肉弾戦で、
















主人公の敵を討つべく燃える耳がとんがった親友に負けてしまう。

(ついでに言えば、一度死んだ主人公がドラゴンボール並みの苦労も無く、
 あっさりと生き返ってしまうのも気にくわなかった)


え?ウソでしょ?あんなに強かったのに?
地球侵略する所こそ見せ場じゃ無かったの?

PR動画にもあるような地球にデカすぎる宇宙船が
ど派手に突っ込んで高層ビルが無残に破壊される画を
撮りたかっただけなんじゃ無いの?













そうとしか思えないくらい、あっという間に終わる。


それもこれも含めて、
主人公と耳とんがった親友との不自然に熱すぎる男の友情劇も、
「スタトレファン」であれば、たまらない世界観であり、
充分に楽しめる内容なのかもしれないが、
僕は残念ながらファンでは無いので、
至極まっとうな佳作作品としか観れませんでした。




2013年8月26日月曜日

映画『エンドオブ・ウォッチ』74点



2013年8月26日鑑賞。


警察映画としては一級品の作品だった。

まずこの映画の圧倒的な緊張感を生み出しているのが
車載カメラ視点と、主人公視点の一見「アナログ」な視点カメラだ。

CGブームに逆行するような、これらの映像が、
CGに全く引けをとらない臨場感を生み出している。

これはレベルや畑は違えど、同じ映像を扱う人間として非常に勉強になった。
細かくカットを割って正面、背後、など様々な角度から
人物を捕らえることで映像を構成するのでは無く、
あくまでも人間目線のみで描ききることで、他には無い臨場感を創出できる。
それをこの映画は改めて証明した。


さらに、監督を務めたデヴィット・エアーは、
同じく警察相棒ものでデンゼルワシントンを
アカデミー賞主演男優賞に導いた『トレーニング・デイ』や、
同じく刑事ものとして評価の高い『S.W.A.T』の脚本を務めた
その実力には定評のある脚本家だ。


「これが、ロス市警のリアル」


というキャッチコピーにあるように、観客は
世界で最も危険な街、5分に1回犯罪が起きる街とも言われる
L.Aを画面を通して痛いほど感じ取ることが出来る。


自分はL.A.に行ったことは無いが、
遡れば名作『L.A.コンフィデンシャル』、
最近であれば『L.A.ギャング・ストーリー』がそうだが、
L.A.の警察を描いた映画を観ると、
L.A.なんてろくな街じゃ無い、ろくな人間も、ろくな警察もいない
そして、L.A.に行く気は全くなくなる。


で、この『エンドオブ・ウォッチ』も同様。
いまのりにのってるジェイク・ジレンホールと、
『L.A.ギャング・ストーリー』でも良い味出してるマイケル・ペーニャが














相棒を組み、ギャングとの抗争に巻き込まれていく。

特にそのストーリーや展開に斬新さは無いのだが、
時折挟まれるこの二人の他愛の無い会話、
そこからにじみ出る二人の絆、友情、さらに愛する人との日常、
これらが街をパトロールするだけでも、ヒリヒリした緊張感に包まれる
警察業務と圧倒的な対をなしているため、
観客は「日常」→「非日常(警察業務)」の落差をより敏感に感じ取ることになる。


それがさらにこの映画の緊張感を高めている。
それがこの映画のストーリーとしての否斬新性を十二分に補っている。

警察映画としては非常に質の高い、観る価値のある一本であった。


2013年8月24日土曜日

映画『ホワイトハウス・ダウン』68点



2013年8月24日鑑賞。

まず『エンドオブホワイトハウス』とのテーマとの類似性に
苦笑せざるを得ないが、それでも観に行ってしまうのはエメリッヒ監督への期待感から。


彼の代表作でもある『インデペンデンスデイ』は小学校の頃に
劇場まで足を運び、有名な大統領の演説シーンに痛く感動し、
「インデペンデンスデイ!」という名言を家に帰って何度もまねした記憶がある。
それくらい好きな映画だ。


さて、内容の方であるが、説明には及ばない。
『エンドオブホワイトハウス』と大きく違うのは、攻めてくる相手くらいか。
ホワイトハウスが攻撃されて、最終的に悪を滅ぼす。
そんな単純図式のエンターテイメント映画だ。


だけど、そんな単純図式だろうと何だろうと、面白かった。
個人的には『エンドオブホワイトハウス』より総合的に面白かった。

物語の尻すぼみ感は否めなかったけど、
エメリッヒの意地というか制作者としてのこだわり、粘り、みたいなものを随所で感じた。

時折織り込んでくるアメリカンジョークはその一つで、
エンターテイメントとしてこの映画を仕上げようとする監督の意図が
見え隠れしたが、劇場は心地よい笑い声で包まれていたし、
その意図は観客に伝わっていたのでは無いかと思う。


ホワイトハウス見学中に大統領に遭遇して、
携帯カメラ片手にインタビューしちゃう政治オタクの主人公の娘
















このシーンは良い。
「大統領!私のYouTube用にコメントちょうだい!」なんて言ったら
まさかの大統領OKで、カメラ目線でコメントしちゃうお茶目な大統領。
あり得るあり得ないのは無しはどうでも良くて、
この後の壮絶な戦いにさらされる大統領を手に汗握りながら応援したくなる
ちょうど良い、心地よい、フリになっている。


そのほかにも、随所でポップな小ネタは仕込まれているんだけども、
それは観てからのお楽しみの方が良いと思います。


そんな風に、この映画は「正義は勝つ!」という勧善懲悪カタルシスを
得られる上に、『エンドオブホワイトハウス』ほど残虐性やシリアスさはなく、
その分差し引いたエンタメ感を徹底して搭載し、
かつドキドキハラハラ感もそぎ落としてはいない夏休みにぴったりの作品だ。



ホワイトハウスの警備相変わらず弱すぎでしょ!

核兵器ってそんな簡単に発射できちゃうの?

一番大事なところで敵は誤爆で自爆みたいなことあり得る?


とか、突っ込み所は満載だけど、鑑賞後さほどその矛盾感が残らず、
あー面白かった!スッキリした!
観たあと何も残らない!


っていう爽快感が勝つので、良い映画としようでは無いか。



もう終わってしまった夏休みかもしれないが、
カップルで観るなら『ワールド・ワォーZ』と『ホワイトハウス・ダウン』、
この2作で間違いありませんね。