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※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2013年9月10日火曜日

映画『ゴッド・ブレス・アメリカ』70点




キックアスよりブラックで過激。
リストラやら不治の病やらで自殺寸前の見るからにさえないおっさんと、














平凡で退屈な日常に嫌気がさしていた女子高生が













ひょんな事で意気投合し、世の中のむかつく奴らを
徹底的に射殺して回るという痛快カルトコメディ。

その対象は恐らくアメリカ人にとっては「あるある」の連続で、
日本でいう「一見リア充」、「糞セレブ女子高生」、
映画館で上映中にしゃべってるやつ、列に割り込むやつ、
中には人類普遍で虫ずが走るような、
「むかつく社会のゴミ」を片っ端から痛快に殺していく。













その動機はさえない主人公のおっさんが、

元妻と娘が自分から完全に離れて言ったうえ、
誤解からセクハラで解雇され、
さらに医師からは脳腫瘍で余命が短いと宣告された。
拳銃自殺をしようかと考えていたフランクだったが、
わがままな少女クロエが出演するリアリティ番組を目にした途端考えを変え、
隣人の車を盗んで番組の撮影現場へ向かい、
クロエを手錠で拘束したうえで射殺した。
(Wikipediaより引用)


こんな感じで全ての不謹慎殺人ショーが始まる。
似たようなコンセプトで大ヒットした『キックアス」と大きく異なるのが、
実際に人を殺したことが無い本当に平凡なおっさんと女子高生が、
同じく何も特殊能力が無い
「普通(といってもウザめ)の市民」を「殺しまくる」ということだ。

「キックアス」で人を殺すのは、結局極悪非道なマフィアもどきたちと、
圧倒的な戦闘能力を秘めたヒットガールである。













その「キックアス」の面白さは結局、ハリウッドというか
エンタメの常套手段である「勧善懲悪」にある。

「実際にスーパーヒーローが現実にいたら…それは許されるのか?」

という、バッドマンシリーズでノーランが挑んだテーマ、
ハリウッドで流行るそのテーマに乗っかっているように見せて、
実際はヒットガールの「超人」的な強さで悪を圧倒するという
(少女が銃やナイフで人を次々に殺すという不道徳な逆説的爽快感もあるが)
ベタな「勧善懲悪」に観賞者側は興奮し、さらにその「勧善懲悪」を果たすのが、
小学生位にしか見えない少女=ヒットガールであることが新しかったわけだ。

しかし、似たような話に思えるゴッドブレスアメリカには、
キックアスにあるような「爽快感」がいまいち感じられない。

それはなぜか?

その理由は前にも書いたが、

実際に人を殺したことが無い本当に平凡なおっさんと女子高生が、
同じく何も特殊能力が無い「普通の市民」を「殺しまくる」からだ。











殺されるのは、映画館でしゃべりまくる奴、長蛇の列に堂々と割り込む奴、
差別発言を繰り返すテレビコメンテーター、障害者をネタにして笑うテレビ番組…

たしかに腹が立つ、罰せられるべき人間たちかもしれないが、
いざ主人公達が銃口を向け、あっさり彼らを射殺しているのを見ると、
そこに爽快、痛快さは無いのだ。
そこにあるのは、なんだか分からないモヤモヤした不条理感だ。

それどころか、「なにも殺さなくても…」なんていう、
「24」のジャックバウワーが何の躊躇も無くテロリスト達を射殺する














際には全く抱くことが無い、道徳的感情を抱いてしまうのだ。
その感情が指し示すのは、

「実際にスーパーヒーローが現実にいたら…それは許されるのか?」

という問いに対しての解答では無いか?

もちろん答えは「No」だ。
実際にバッドマンやらが行う正義の味方的な「度」を超えた自警行為は
バッドマンだから許されるわけで、街に溢れる我々市民の一員が
いきなり正義感を背負い、勝手に人を成敗し始めたらそれはやはり許されない。

そんな冷静に考えれば当たり前のことをこの映画は教えてくれる。
監督の意図がそんなところにあるのかはさておき、
僕は見ていてそんな感想を不快感と共に感じた映画だった。


ゴッド・ブレス・アメリカ DVD

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