2013年8月10日鑑賞。
僕は特に「ハルキスト」ならぬ「ジブリスト」ではないので、
かなり久しぶりの、下手したら『ハウルの動く城』以来の劇場鑑賞ジブリ作品。
ということからもわかるように、特にジブリへの偏愛というか思い入れはない。
強いて言うなら、「『トトロ』が最高傑作だと思いますけどね」程度。
特にジブリストの方には、そんなことを踏まえて、
「ジブリ素人の戯言」程度の気持ちで読んで頂きたい。
まず第一に個人的な映画の感想を書いてしまえば、
この作品は、「受け入れがたい作品」だ。
あくまでも個人的な意見なので、
ジブリストの人は、
この時点でさじを投げてもらってもかまわない。
では、「受け入れがたい作品」であると結論づけた
その理由を書いていこう。
まず、全体を通しての「中途半端」感が尋常ではない。
主人公の「人生」を描きたいのか、それとも「愛」を描きたいのか、
「仕事」を描きたいのか、はたまた「戦争」を描きたいのか、
「時代」を描きたいのか。
どの角度から映画を切り取っても、
合点がいかない、物語として理解できない。
落としどころもない。気がしてしまう。
「いや、それが逆に深遠な解釈を促すんだよ」
みたいな逆説の鑑賞方法がジブリストにはあるのかもしれないけど、
そんなの知らん。
とにかく何も終わっていないし、そもそも始まってさえいない映画にすら感じた。
それはなぜか?
「世界の宮崎駿」ともあろう名匠が、
そんな薄っぺらいちぐはぐに見えてしまう構成の映画を…
単純にジブリ素人の私の目が節穴という説もありますが…
そこは個人的感想の場を述べているわけだから置いておくとして。
少しだけ考えてみたら、
何となく自分の中で消化しきる術を見つけた。
まず第一に、この映画で圧倒的な違和感を放つポイントがある。
それは、ジブリ映画のマスト条件とも言える
「ファンタジー性」を徹底的に排除した映画であるという点である。
そもそも扱っているモチーフが実在の人物、物語をベースにしているという時点で、
それはそうなんだろうけども、ここに今回の宮崎駿の意図を見た。
あくまでも私見ね。
この物語の主人公(仕事大好きマン)は、宮崎駿自身を投影したのではないか?
俺ってホント仕事好きでさ、仕事頑張ってさ、全てを犠牲にしてきたんだよ。
いや、そりゃ恋愛もしたよ?でもさ、ホントに仕事好きでさ、
ていうか本物の仕事したいならさ、
恋愛も何もかもかなぐり捨てないと成し遂げられないんだよ。
だから俺はそうやって自分の能力信じてやってきたんだよ。
で、結果残したわけ。
最愛の人を失ったことは悲しいよ。でもさ、俺はやってやったよ。
俺は成し遂げたんだよ。「生きた」からこそ成し遂げたんだよ。
だから「生きねば」。
劇中、そんな宮崎駿の心の声が僕には聞こえてきた。
それはこれまでトトロや千と千尋やポニョなど、
夢あふれるファンタジックで幻想的な物語を紡ぎ出してきた
ジブリの森の長とは到底かけ離れた「リアル」で「痛々しい」声だった。
主人公に自分を重ねた宮崎駿は、自分を投影したからこそ、
俺はこれだけの仕事人間だぜ、色々失ったぜ…
でもさ、見てみろよ、一つの作品を作り上げるために
必死になること、夢中になること、
それはこんなにも美しいだろ?
という映画に仕上げた。
それは究極の自己満足なのでは無いか。
それと同時に究極の自己投影映画なのでは無いか。
そう、だからこそ、
自己満足的に終わらせるからこそ、全てどの角度から切り取っても
所詮他人である鑑賞者の僕にとっては「中途半端」に見えてしまう。
つまり、ジブリのマスト条件とも言える「ファンタジー性」を一切排除するという、
自ら長い年月をかけて、身を削りながら積み上げたものへの
アンチというか、逆接をとるという、
「究極のニヒリズム」を彼はこの作品に込めたのではないか。
あのエンディングこそまさに極地であって、
でもさ・・・俺かっこいいだろ?俺は間違ってないんだぜ?
という自らへの慰め、それにしか僕は見えなかった。
そういう意味で、この映画は泣ける。
嗚呼、宮崎駿はもう引退するんだな。
もう充分に頑張ったと自分に言い聞かせているんだな。
そう思うと同時に「ひこうき雲」が流れ始める。
ユーミンが紡ぎ出したその歌詞は、宮崎駿のニヒリズムを助長する。
今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも若すぎたと ただ思うだけ
けれど しあわせ
あくまでも「ほかの人にはわからない」のだ。
宮崎駿は主人公と同じで、孤独なのだ。
「けれど しあわせ」なのだ。
しかし、その「しあわせ」は本当の「幸せ」なのだろうか?
僕にはそう思えなかった。
彼(宮崎駿)の寂しい笑顔が頭に浮かんだ。
この作品を作りながら、「しあわせ」だ、「しあわせだった」と、
自分に強く言い聞かせる、彼の姿が頭に浮かんだ。
だから、その意味でこの作品は「泣ける」のだ。
宮崎駿は引退するのだろうか。
「ひこうき雲」が悲しく鳴り響いている。
この採点不能は、ジブリ素人の僕が、
何の気なしに観てしまった宮崎駿の作品が、
圧倒的ニヒリズムと化した自伝的最終作品に
見えてしまった事への衝撃、そこから来る採点不能だ。
彼の持ち味である類い希なるファンタジー性を
予期しながらの鑑賞からの落差は尋常では無い。
あくまでも個人的には、ファンタジーで締めくくって欲しかった。
引退するかどうか現時点で何も分かってはいないが、
そんな素人の戯言的には悲しみを込めた採点不能としたい。
ブログ読ませていただきました。
返信削除なぜ芦田さんは、冒頭で「自分はジブリストではない」「ジブリストの人にぜひ読んでほしい」と書かれているのでしょうか?
この映画を「良い映画」と判断する人のことを「ジブリ好きな盲目的な視聴者」と断定するのは
少しおかしいと感じました。
また、ジブリ映画なのにファンタジー性がないから「違和感がある」として
「期待はずれ」とされてしまうのは非常にもったいないかな、と。
私は、ジブリストでもなんでもありません。過去の作品はほとんど見ていませんし
そもそもアニメーション事体を鑑賞することはあまり多くありませんが
「風立ちぬ」はまれに見ぬ良作だと感じました。
先日放映された「プロフェッショナル仕事の流儀」の中で
宮崎監督ご自身がこの映画にこめたメッセージを語ってらっしゃるので
ご覧になってみてください。
自分も芦田さんと同様、映像制作の仕事をしています。
この作品はあらゆる要素を含んでいますが
何よりも「創作」することへの情熱を描いたものだと自分は受け取りました。
これも私の私見なので決してそれが正しいとは思いません。
ただ、芦田さんの解釈には納得できないのです。
芦田さんはこの作品自身は宮崎監督が自己を投影した心の叫びだと解釈されていましたが、
自分はそんな視点もあるのか、と驚きました。
”この物語の主人公(仕事大好きマン)は、宮崎駿自身を投影したのではないか?
「俺ってホント仕事好きでさ、仕事頑張ってさ、全てを犠牲にしてきたんだよ。
いや、そりゃ恋愛もしたよ?でもさ、ホントに仕事好きでさ、
ていうか本物の仕事したいならさ、
恋愛も何もかもかなぐり捨てないと成し遂げられないんだよ。
だから俺はそうやって自分の能力信じてやってきたんだよ。
で、結果残したわけ。
最愛の人を失ったことは悲しいよ。でもさ、俺はやってやったよ。
俺は成し遂げたんだよ。「生きた」からこそ成し遂げたんだよ。」”
読ませていただいた時に、芦田さん自身が制作をされるうえで
「色々なものを犠牲にしながらやっている、自分は特別なんだ。」
と思っていらっしゃるのでは?と思いました。
純粋に「世の中をよくするもの」を作成しているという想いがあられますか?
私は、芦田さんが制作されているテレビ番組が
視聴者や国民にいい影響を与える「良識的なものである」とは考えがたいです。
この映画の主人公を「仕事大好きマン」と解釈してしまうのは決して「おもしろく」ありません。
芦田さんのように影響力のある人が
このような解釈をされることに悲しさを覚えました。
長いコメントありがとうございます。
削除一つずつ答えられることは答えていこうと思います。
まず
なぜ芦田さんは、冒頭で「自分はジブリストではない」「ジブリストの人にぜひ読んでほしい」と書かれているのでしょうか?
ですが、「ジブリストの人にぜひ読んでほしい」なんて書いていません。
どう書いたかと言えば、「(私は特にジブリ好きと自称できるほどでもないし、作品もさほど観たことが無い)ということも踏まえて、特にジブリストの人は、読んで頂きたい。」と書きました。
これを「なぜ?」と言うのであれば、「私はジブリに関して深い洞察を持つほど、作品を観ていないし、知らない。それでも今から率直に思ったことを書きますよ。」という、言い訳というか、ジブリを愛する人たちに失礼を働くだろうなと言う予想を元に書いた言い訳です。これで納得頂けますか?
次ですが、
この映画を「良い映画」と判断する人のことを「ジブリ好きな盲目的な視聴者」と断定するのは
少しおかしいと感じました。
とありますが、あなたのコメントからは終始感情的な曲解を感じます。
自分が良いと思ったものを否定されることによって生まれる感情的反発で書かれているせいだと思いますが。
まず、なにをもって私が「この映画を「良い映画」と判断する人のことを「ジブリ好きな盲目的な視聴者」と断定」したんでしょうか?根拠が無いので反論しようがありません。
また、
ジブリ映画なのにファンタジー性がないから「違和感がある」として
「期待はずれ」とされてしまうのは非常にもったいないかな、と。
これも同様ですが、「違和感がある」とは書きましたが、期待はずれなんて書いていませんし、思っていません。そもそも期待するほどジブリを知らないし、思い入れもありませんから。
あえて、付け足すとすれば、ジブリの「持ち味の一つ」である、寓話性、ファンタジー性を、あえて排除して作られた作品の結果が、こういう形態の作品であったことに関して驚き、それに対して「個人的に」受け入れがたいと感じたからそう書きました。ただ、その受け入れがたいという感情は、今までのジブリ作品の歴史を知り、鑑賞してきたのであれば、起きない感情なのかもしれないと思い、前述した「言い訳」を書いて感想をスタートしました。
さて、次ですが、
「風立ちぬ」はまれに見ぬ良作だと感じました。
先日放映された「プロフェッショナル仕事の流儀」の中で
宮崎監督ご自身がこの映画にこめたメッセージを語ってらっしゃるので
ご覧になってみてください。
(中略)
この作品はあらゆる要素を含んでいますが
何よりも「創作」することへの情熱を描いたものだと自分は受け取りました。
これも私の私見なので決してそれが正しいとは思いません。
ただ、芦田さんの解釈には納得できないのです。
プロフェッショナルは録画したので観てみるつもりですが、
それを観て私があなたの言うような解釈に変わったとしても、このブログに書いたことは、
何の予備知識も無く、観た当日に直感的に書いたことを書き殴ったわけですから、そこに関して納得できないのであれば、仕方が無いとしか言いようがありません。
加えて言えば、今作に関して事前のPR番組が通常よりも圧倒的に多かった気がします。声優陣(特に庵野監督)の密着ドキュメンタリーみたいなものはたまたま観ましたが、個人的には観なければ良かったなと思っています。どこか自己満足の、身内の、内輪を見せつけられただけなきがしてしまうのと、劇中主人公が発する言葉、言動が全て庵野監督にしか見えなくて、私的には邪魔でした。
次です
読ませていただいた時に、芦田さん自身が制作をされるうえで
「色々なものを犠牲にしながらやっている、自分は特別なんだ。」
と思っていらっしゃるのでは?と思いました。
もうここまで来るとよくわかりません。なぜこんな解釈になるんですか?根拠を書いて下さい。
私はこの作品を観て、あなたの言う「「創作」することへの情熱を描いたもの」みたいなことは感じることが出来ました。あなたはそれ自体を否定されて不愉快な思いをされているのかもしれませんが、「「創作」することへの情熱を描いたもの」、そういう作品が「悪い」と言っているわけではありません。
先ほど書いたようにジブリの「持ち味の一つ」でもある、寓話性、ファンタジー性を排除して出来上がった作品が、
全体を通しての「中途半端」感が尋常ではない。
主人公の「人生」を描きたいのか、それとも「愛」を描きたいのか、
「仕事」を描きたいのか、はたまた「戦争」を描きたいのか、
「時代」を描きたいのか。
どの角度から映画を切り取っても、合点がいかない、物語として理解できない。
落としどころもない。
ブログに書いている主張の主な点はここです。
「「創作」することへの情熱を描いたもの」なのはわかりますが、それを伝えるにはあまりにも消化不良に感じたと言うことです。物語の構成的観点でわかりづらいし、中途半端だと私は感じてしまいました。
そして、
純粋に「世の中をよくするもの」を作成しているという想いがあられますか?
私は、芦田さんが制作されているテレビ番組が
視聴者や国民にいい影響を与える「良識的なものである」とは考えがたいです。
この映画の主人公を「仕事大好きマン」と解釈してしまうのは決して「おもしろく」ありません。
ここは宮崎駿に関しての議論と全く関係ありませんよね?
強いて「この映画の主人公を「仕事大好きマン」と解釈してしまうのは決して「おもしろく」ありません。」に反論するのであれば、
決して「おもしろい」と思って書いているわけではありませんし、「仕事大好きマン」と解釈することであなたに不快感を与えてしまったのであれば、申し訳ありません。ということだけです。
全体的にあなたが不愉快に思っている感情は伝わりましたが、そこに根拠が記されていないため、反論しがたい箇所が何点かあります。ただ、その要因がこちらの稚拙な書き殴りのせいもあると思うので、それはお詫び致します。
また思うことがあれば、この映画に限らず是非コメントを頂けると嬉しいです。