注意事項

※素人の戯言なので観賞本数増えるごとに点数は微調しています。悪しからず。

2013年5月26日日曜日

映画『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』79点



2013年5月26日鑑賞。

ゼロ・ダーク・サーティー』を除けば、
上半期見た劇場鑑賞作品の中で最も印象的な作品だった。


今ハリウッドで脂がのりきっている
ライアン・ゴズリングとブラッドレイ・クーパーという
2大男前、かつ演技派の共演だけでも観る価値のある映画。













特にライアン・ゴズリングの何とも言えない、
終始もの悲しさと哀愁を漂わせる表情が
いつまでも脳裏に焼き付いて離れない。

















これでイケメンと来るわけだから、なかなか希有な存在だと思う。
あえて言えばニコラスケイジが同じような才能を持ち合わせていると思うが、
圧倒的にゴズリングの方が美しさを兼ね備えているため、
画として惹きつける力がはるかに勝っているのだ。


肝心のストーリーの方は、『ブルーバレンタイン』の監督
ということから容易に予想できるように、重厚で濃厚なお話。
今回もお得意の時系列を入れ替えながらの構成になっている。

簡単にまとめると、
ある罪を巡る父親同士の因果が、その息子たちへと引き継がれて
展開していくさまを、それぞれに視点を変えた3つの物語で描き出していく。
(BY all cinemas)

つまり3部構成のお話なんだけど、
この映画はとにもかくにもゴズリング。















2部以降彼が登場しないことがとても悲しく、
待ち遠しくなってしまうほどの存在感。
この作品で彼が素晴らしい俳優なのだと再確認させられる。


そしてこの林道をバイクで走り抜けるシーンはとても印象的だが、











なぜ印象的なのかというと、ゴズリング演じるルークが醸し出す
圧倒的な悲哀というか悲壮感、それがこの林道とマッチする。

そして、映画ではゴズリングの息子が、
父親がバイクで走っていたこの道を同じように、
お気に入りの自転車で走り抜ける。

美しい画であることは間違いないのだが、
監督は絶対この画のオーバーラップを確実に先に思いついたんだろうな
って思ってしまうあざとさみたいなモノも感じられたのは事実。

もっと素直に映画を見ろよと言われてしまいそうだが、
この映画が、同監督のブルーバレンタインよりも
評価が下回ったり理由がそこにある。

デレク・シアンフランス監督の真骨頂である
「残酷なまでのリアリズム」が今作ではさほど感じることが出来なかった。

どうも副題にある「宿命」を文字面そのままを背負いすぎて、
「フィクション」らしさ、悪い意味での「フィクション」感が
ストーリーの構成の端々から感じ取れてしまったのだ。

そんなにうまいことゴズリングとクーパーの息子が遭遇するわけがないし、
そんなに上手い具合に対象的な子供に育つわけがない。
そんなこと言い始めたらどの映画も見れないという話であるんだけど、
ブルーバレンタインの監督ならば、と期待してしまうのが鑑賞者の性だ。

だが、そんなフィクションを端々で感じてしまう映画とは言え、
全体的には二大イケメン以外にも脇を固める実力派の
俳優・女優陣の演技だけで2時間見ていられる。

そして、最後、監督の意地を見たシーンがある。
本当にラストのシーンで、ゴズリングの息子が父親であるゴズリングと同じ
HONDAのバイクを手に入れるシーンがある。

そして僕はこの瞬間、
「絶対あの林道を走る息子のバックショットで終わらせる」
と、確信に近い心理で待機していたが、
良い意味でシアンフランスは裏切ってくれた。

息子は、バイク屋に「使い方分かるかい?」と聞かれ、
無言でバイクに乗り、夕焼けの荒野を走り去っていく。

この無言のラストシーンは、
「当たり前だろ、誰の息子だと思ってんだ」という、
天才ライダーである親父の遺伝子を受け継ぐ「宿命」を
画と台詞に頼らずに表現し、映画を終えるという
逆にこのエンディングシーンを一番最初に思いついたのではないかと
思わせるほどの一瞬のこだわりを見た。

ただ前にも書いたように全体的に
副題である「宿命」を強く引き立てるための演出が
逆にフィクション感を増させてしまい、
シアンフランス感得の神髄である「リアリズム」みたいなものが
希薄になってしまっているという点で80点には及ばず。

0 件のコメント:

コメントを投稿