2014年8月20日観賞。
98年にローランド・エメリッヒによってリメイクされた
ただのトカゲ怪獣化した「ゴジラ」よりは、はるかに「ゴジラ」だったが、
個人的には全く持って評価しがたい映画だった。
これは誰が見てもゴジラでは無い |
小学生の頃から欠かさずに親と映画館に観に行くほど好きだったゴジラ。
実際に詳細なストーリーは覚えていないし、
なぜ好きか?と聞かれると、感覚的な「好き」という感情しか残っていない。
だけど、そんなおぼろげな記憶の中でも確実に脳裏に刻まれていたのが
「何かもの悲しい」、「人間のエゴが生んだ悲劇の怪獣」という印象だ。
それはやはり、ウルトラマンなどの特撮ヒーローが持つ「正義の味方」という
世界観とは一線を画す、「水爆大怪獣」という人類へのアンチテーゼとして
現れたゴジラという設定が強く印象付いていたと言うことだろう。
知らない人のために書いておくと、ゴジラの起源は以下の通りだ。
「南方の孤島・ラゴス島に生息し続けていた恐竜ゴジラザウルスが
ビキニ環礁の水爆実験で発生した放射性物質を浴び怪獣化した」
前置きが長くなったが、今回のハリウッド版ゴジラが圧倒的にダメなのが
この「世界観」を形成できていないという点だ。
たしかにゴジラファンだという監督ギャレス・エドワーズは、
原作のゴジラと遜色ない、現在のCG技術を駆使してむしろ
より洗練され迫力のあるゴジラを作り出してはいる。
スクリーンに現れたときは普通に興奮した |
だが、小学生の自分ですら感じることが出来た
哀愁すら感じるゴジラの世界観はこの映画には存在しない。
単なるハリウッドお決まりパニックムービー化しているのだ。
陳腐な恋愛劇は全く持ってストーリーを補強するに至っていないし、
渡辺謙の立ち位置は終始意味不明だし、
相変わらずハリウッド映画の日本の描き方は辟易とするし、
あんな寺子屋みたいな家に我々は住んでいませんし、
一番大切なゴジラの戦闘シーンまでの振りが長すぎる割に意味を成してないし、
と、物語全体に評価の要素は見当たらない。
ただダメ出しばかりするのも気が滅入るので言っておくと、
やっぱりゴジラが放射熱線を吐き出す前に背中が光り始める時の
ワクワクドキドキ感は小学生の自分を思い出すことが出来た。
良い画像が無かった…残念 |
だけど、そんな醍醐味である戦闘シーンもやはり何か消化不良気味で、
同じく日本特撮ものをベースにした『パシフィック・リム(75点)』の方が
圧倒的に全てのバランスが整っている映画だった。
というわけで、全世界的に記録的なヒットをしている中で、
日本ではさほど興行収入が伸びていないのは、
「日本発」の社会風刺的世界観を踏襲し切れていないハリウッド大作への
「日本人なりの」抵抗の現れなのだろうか。
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