インドで迷子になった少年サルーが、
25年後にグーグル・アースを使い、故郷を探し出す
というウソのようなホントの話を映画化。
アカデミー賞では作品賞を始め6部門にノミネートされた良作。
力強く前を向き続けて感動の再会を果たす
サルーの人生に大いに感動させられたのは確かですし、
映画館に見に行く価値のある作品であることは間違いないのですが
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『スラムドック$ミリオネア』の"あの少年”が立派な俳優に! |
90点越えの超傑作!と思えない下衆な自分が・・・
で、なんでそんな下衆な自分がひょっこり顔を出したのか、
少し振り返って考えてみたんですけど。
結論としては・・・
①GoogleEarthという我々にとっても身近な文明の利器を使って
25年前の記憶だけを頼りに実家を探しあてるという
カタルシス感満載間違い無しのストロークで、
思っていたほどのカタルシスを得ることが出来なかった。
※勝手に自分でハードル上げてるだけだけど。
②(大好きな)ルーニー・マーラの使い方
これに尽きる気がします。
まず①に関しては「じゃあお前が描いてみろよ!」
って言われると思うんですけど、
だから先に「無理ですごめんなさい」と謝っておきます。
この映画、音楽はとても良いし、
なにせ迷子になり始め→完全に迷子になってさまよい続ける
シーンなんて、サルーに完全に同化して恐怖心と不安にかられる
素晴らしい映像表現だって事は間違いないし、
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まさに天才子役! |
インドで孤児化してしまったサルーを
オーストラリアで引き取ることを決意した
濁りのない善意の塊過ぎて、みてるこちらが「俺って何なんだろう」
って恥ずかしくなるくらいの人間力に満ちあふれた
ニコール・キッドマン夫妻の家族愛も観ていて
とても心が温まることも間違いない。
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ニコール・キッドマンは助演女優賞にノミネート |
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実際の写真 |
だけども、それだけ
迷子→死にものぐるいで迷子生活脱出
→里親の元へ→幸せなオーストラリア生活
という描写がしっかりしているだけに、
なんかあまりにも簡単に見つかってしまった気がしたんですよね。
俺だけかな。
ホントはどうやって見つけたんだろう?
って本当の話を映画化しているのに思ってしまったんですよね。
ウソのようなホントの話だからこそ、
このウソみたいに簡単に見つかったのがホントの話なんです
ってことだとしたら、「あ~そうなんだ。そうなんですね。」
と答えて会話は終了なんですけど。
でもだからこそ、エンドロールで流れる
(この映画絶対最後まで席を立ってはダメ!)
"実際の写真&映像がこの映画で最も泣けた”んだと思うんですよ。
物語(感動)のピークが映画という(ドキュメントを映画化した)
”フィクション”内になくて、
むしろ事実を映画に落とし込んだ映画そのものが壮大な振りになって
最後の実際の映像ドキュメントの感動を増長させるという。
それが狙いなんだよ、なんでそれじゃダメなの?
って言われちゃうと
「あ~そうなんだ。そうなんですね。すみません。」
と答えて会話は終了なんですけど。
まぁあくまでも個人的な性癖に近い戯言的感想ですね。
そして②(大好きな)ルーニー・マーラの使い方
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主人公の彼女役で登場 |
もうこれはアイドルのファンがアイドルの出演映画に
文句言うのと同じ構図ですね。
色んな意味での「もうちょっと無いの!?」
親&母国を捨てた、捨てられてしまった孤児っていう闇を
抱え続けて生きてきた主人公は、彼女に対して
「君は本当の僕を知らないだろ!」って切れるっていう
展開が待ち受けている訳なんですが、そこの展開に至るまでの
「ラブラブからの喧嘩からの和解」の描写がまさに
「もうちょっと無いの!?」
「ルーニー・マーラにもうちょいあげてよ!」って言いたくなりました。
それだけです。
でも出会いのシーンでもある道路挟んでの"あのシーン”は
最高にキュートでしたね。
関係ないけど、個人的に消化不良だったので
ルーニー・マーラの美しい画像貼っておきます。
というわけで色々ほざいてきましたが結局は良い映画です。